くまのお母さんの物語

一人息子を亡くした、くまのお母さんの物語(ナラティブ)です。

何の罰か

くまのお母さんは今日の地元紙を読んで、久しぶりに坊やに関することで泣けました。

戦時中、とある母子家庭の一人息子が出征して戦死。母は戦後も貧しい暮らしを続けながら道端に息子の墓を建てたといいます。

貧乏人のせがれが死ぬのは何の罰なのかとその母は語ったそうです。

坊やは戦死したのではないけれど、くまのお母さんも貧乏人といってもいいかもしれない暮らしをしながら、坊やを都会の大学に進学させましたから。

本当に何の罰なのかとくまのお母さんも恨み言を呟きたくなるのでした。

くまのお母さんには頼る人がいないと言葉にしてみて、寂しいことだなと感じる秋の始まりなのでした。

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遺影

chanto.jp.net

遺影かぁ。

坊やの遺影、Facebookの写真データでそれこそ集合写真を引き伸ばして使ったので、ちょっとぼやけているものになってしまいました。

でもその写真は坊やが楽しんで活動していたサークルのメンバーと一緒で、坊やがお気に入りだったシャツを着ていて、坊やが自然な笑顔だったので、選んだのでした。

坊やの葬儀が終わって、大学にいろいろな手続きをしていると、坊やが卒業写真の個人写真を撮ったと知り、データをいただくことができました。

写真屋さんが撮影したので、それこそきちんとした写真です。

ちゃんと笑っています。

坊やは卒業写真は撮らないと言っていましたが、どうしてか撮りに行ったのですね。

なので、遺影の写真を差し替えました。

まさか卒業写真が遺影になるとは思いもしなかったです…

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命が疲れたと言うまで

くまのお母さんは、お寺に護持会費を納めに行きました。

会費を納めると「ぶっきょうスクール」という小冊子をいただきます。

それを読んでいたら宮越由貴奈さんの「電池が切れるまで」という詩が載っていました。

 

「命」

命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ
でも電池はいつか切れる
命もいつかはなくなる
電池はすぐにとりかえられるけど
命はそう簡単にはとりかえられない
何年も何年も
月日がたってやっと
神様から与えられるものだ
命がないと人間は生きられない
でも
「命なんかいらない。」
と言って
命をむだにする人もいる
まだたくさんの命がつかえるのに
そんな人を見ると悲しくなる
命は休むことなく働いているのに
だから 私は命が疲れたと言うまで
せいいっぱい生きよう

 

http://e-school.e-tokushima.or.jp/kitajima/es/kitajimakita/html/htdocs/?action=common_download_main&upload_id=15244

 

「命なんかいらない。」
と言って命をむだにする人

 

とは、つまり自死する人のことを指しているのでしょうか。

そういう捉え方しかできないのは仕方ないかもしれません。

くまのお母さんは坊やが亡くなって、ますます「命を大切に」というフレーズが嫌いになりました。

坊やは命が疲れるまで精一杯生きていたとくまのお母さんは思っています。

 

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お盆のお墓参り

昨日のお盆の入りは大雨が降ったので、くまのお母さんはお墓参りに行かず、今日、くまのおじいちゃんと一緒に行きました。

すると、すでにお墓にお花がお供えしてあり、線香をあげた跡も残っています。

うーん、誰だろう?心当たりがないのです。

去年からWeb日記をつけているので去年の日記を見ると、去年のお盆もお墓参りに行ったら、先にお花が供えてあったようでした。

…忘れていましたし、記憶にない。

去年はてっきり親戚だとばかり思っていましたが、なんでそう思ったんだろう?

彼岸のときはそういうことはなかったです。

誰かがお花を持ってきてくれた。

ありがたいことですが、誰なのかとても気になりました。

お墓の場所をわかっている人でなければお参りできないはず。

坊やのお墓の場所を知っているのは、坊やの大学の同級生の仲良しグループの人たち、坊やの大学のサークルの先輩、坊やのバイト先の元上司、くまのお父さん、うちの隣のお墓にお参りに来るくまのお母さんの従兄くらいです。

…ほとんど県外住みの方ばかりなのでお盆にお墓に来てくれるというのは?

くまのお父さんはお墓参りに来るときはお花をお供えしませんし、必ずお墓にメモを残すから違います。

坊やの大学の同級生で隣県出身の人がいて、その人は1人でお墓参りに来たことがありましたが…

いつかお会いしたいです。

 

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2022年 母の日

今年も母の日が来ました。

くまのお母さんは、坊やが亡くなってから母の日が嫌になりました。

坊やが生きているからこそくまのお母さんにとって、母の日の意義はあるのだからと思っていたのです。

くまのお母さんのお母さん、ですか?

そもそもくまのお母さんは、子どもの頃からあまり母の日とか父の日とかに親に感謝を伝えたことはなかった気がするのです。

親がしてくれることは当たり前と思っていたんですね。

そして、今はくまのお母さんは年老いて介護保険のサービスを利用するようになった親の世話をしているのですから、それでいいんじゃないの?って思います。

だけど、母としてのくまのお母さんの存在意義を考えると悲しいなぁと思うのです。

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坊やの同級生たち

2022年が始まりました。

くまのお母さんは年賀状を出さなくなって3年目くらいでしょうか。

年賀状に割く時間がなくなったことはとても助かるなぁと思います。

年賀状よりLINEとかメールで近況報告でもできたらいいかもしれませんが。

それよりも

向こうの世界にいる坊やに年賀状を出せたらいいなぁと思います。

通信ができたらいいのになぁ、年賀状でなくても、年に1度でも。

コロナが落ち着きを見せているこの頃、坊やの同級生たちも帰省してきているようですね。

羨ましいなぁとくまのお母さんは思います。

坊やはいつでも帰省してくれたらいいのになぁ。

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