くまのお母さんは、お寺に護持会費を納めに行きました。
会費を納めると「ぶっきょうスクール」という小冊子をいただきます。
それを読んでいたら宮越由貴奈さんの「電池が切れるまで」という詩が載っていました。
「命」
命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ
でも電池はいつか切れる
命もいつかはなくなる
電池はすぐにとりかえられるけど
命はそう簡単にはとりかえられない
何年も何年も
月日がたってやっと
神様から与えられるものだ
命がないと人間は生きられない
でも
「命なんかいらない。」
と言って
命をむだにする人もいる
まだたくさんの命がつかえるのに
そんな人を見ると悲しくなる
命は休むことなく働いているのに
だから 私は命が疲れたと言うまで
せいいっぱい生きよう
「命なんかいらない。」
と言って命をむだにする人
とは、つまり自死する人のことを指しているのでしょうか。
そういう捉え方しかできないのは仕方ないかもしれません。
くまのお母さんは坊やが亡くなって、ますます「命を大切に」というフレーズが嫌いになりました。
坊やは命が疲れるまで精一杯生きていたとくまのお母さんは思っています。