くまのお母さんの物語

一人息子を亡くした、くまのお母さんの物語(ナラティブ)です。

くまのお母さんの月命日

くまのお母さんは、坊やの月命日には坊やが好きだったお寿司屋さんのお寿司を買ってきて、仏壇にお供えします。

でも、くまのお母さんが転職してからは、忙しく残業をすることが多く、平日に月命日が当たると特別なことができなくなりました。

それでも毎朝、仏壇にお水とご飯をお供えしているので、まぁいっかと思っています。

 

何かのタイミングで涙が出ることはありますが、命日だから月命日だから悲しみが増すということは、くまのお母さんにはありません。

毎日の生活(仕事)に追われているからでもあります。

時々、坊やが生きていれば話をしたいネタや出来事や新しいカフェを見つけると、坊やと話ができなくて寂しいと思います。

生前は坊やは都会の大学生で、くまのお母さんと会うことは1年に数えるくらいでしたが、週に1度は電話で話をしていました。

帰省すると坊やの好きなご飯を作っていましたが、今は坊やの好きだったご飯を作ることがなくなりました。

たまには幼稚園時代によく作っていたお弁当を思い出して作ってみようかしらと思ってみたりします。

 

昨日は、坊やが亡くなる直前に、くまのお母さんの誕生日プレゼントにと思って坊やが買った焼菓子を売ってるお店(フランチャイズなので全国にある)で、いちごのショートケーキを買って仏壇にお供えしました。

そういえば、以前、坊やが帰省したときにこのお店でお菓子を買ったことがあったのを思い出したのかもしれません。

 

1年前の今頃は、坊やの大学の友だちが大学で坊やを偲ぶ会を開いてくれて、くまのお母さんは都会へ出かけて行ったことを思い出します。

うれしかったなぁ。

そうして色々なことが過去になっていくのですが、やはり生きるというのは今を生きるということです。

前を向いても後ろを向いても今を生きていけたらいいと思います。

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 自死遺族へ
にほんブログ村

自分を守るために死んでしまう

くまのお母さんは歯医者さんにいきました。

冷たいものが歯にしみるので診てもらったら、知覚過敏だそうです。

大人のむし歯は歯の生え際が多いんですよと教えてもらいました。

知覚過敏で神経がやられてひどくなると、神経は自分を守るために死んでしまうのだと説明されました。

 

自分を守るために死んじゃうって自死もそうなのかなって思いました。

歯茎が下がったり、歯磨きしすぎて歯の生え際を傷つけたりして、ダメージを受けやすくなるわけですね。

 

自分を守るために死ぬっていうことが、心に残りました。

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 自死遺族へ
にほんブログ村

我が子に先立たれた母親の悲しみ

(今日はくまのお母さんはいません。)

高橋まつりさんのこと。

電通社員がネットに色々書き込んでいるのを見て、彼らには「我が子に先立たれた母親の悲しみ」はわからないから仕方ないのだろうなと思いました。

彼らが自身のお子さんを失って初めて、きっと高橋まつりさんのお母様の気持ちがわかるでしょう。

そうとしか思えません。

プライベートな要因もあってのことらしいですが、遺族としては「会社の過重労働さえなければ」という思いが一番強く、それさえなければプライベートな問題で死に至ることはなかったと考えるのが当たり前でしょう。

メンタル不調は複合的な要因が積み重なることで重篤になっていきますから、一つのことだけが原因で希死念慮を抱くことはないのではないかと思います。

自死遺族としては、周囲の人にされて嬉しかったことや助かったこと、嫌だったことについて発信していくことも必要なのかなと思いました。

言わなくちゃわからないことは、たくさんあるのですから。

(更新しようと色々書いては消し書いては消していました。)

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 自死遺族へ
にほんブログ村

阪神淡路大震災から22年

22年前の早朝、くまのお母さんは坊やの泣き声で目が覚めました。

いつも泣かない坊やがどうしたんだろうと思った途端に、地震がきました。

くまのお母さんが当時住んでいたところは震度4くらいでしたが、大きな被害はありませんでした。

起きてから朝のバタバタの後にテレビをつけてくまのお母さんは呆然としました。

画面には戦後の焼け野原のような光景が映っていたからです。

ヨチヨチ歩きもまだできなかった坊やを傍らに放っておいて、何時間も呆然とテレビを見続けていました。

あの時、坊やは地震が来ることを教えてくれたのかしらと思いました。

そして6年前にくまのお母さんが住む町からいくつか山を越えたところに大きな津波がきて、たくさんの人が亡くなりました。

そんな経験をしてきて、命は大切にと身をもって分かったつもりになっていたかもしれません。

頭では分かっていても生きたくても生きたくても生きづらかった。

自死した人が命を粗末にしていると思う人がいるならば、自死遺族になってみてほしいと思います。

本当は生きたかったという思いを抱えていたことに思いを致してほしいです。

digital.asahi.com

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 自死遺族へ
にほんブログ村

軽井沢スキーバス転落事故から1年

(今日はくまのお母さんはいません。)

ちょうど息子が亡くなって四十九日が終わった後でした。

たくさんの大学生が亡くなったり怪我をしたあの事故から1年になるのですね。

息子もあのバス事故で亡くなった学生さんも親にしてみれば、まさか我が子が亡くなるなんて思ってもみなかったということです。

我が子を失った悲しみは亡くなった理由によらず、変わらないのではないかと思います。

強いて言えば、うちの子はメンタル不調でクリニックに通い、薬を飲んでいましたけれども、まさか自ら死に至るとは想像もできませんでした。

我が子が死ぬと想定できなかったのはバス事故で亡くなった学生さんの親御さんも同じででしょう。

ただ、私は亡くなってから息子のメンタル不調はそこまで深刻だったのかという思いをしましたが、バス事故で亡くなった学生さんの親御さんは我が子が亡くなる理由が理不尽すぎると思うのかもしれません。

東日本大震災で亡くなった2万人の方にもそれは言えるでしょう。

死というのは、いつでも身近にやってくることがあるのでしょう。

だから今を生き抜くことが大切なのだと思います。

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 自死遺族へ
にほんブログ村

もしかして

先日、亡くなった高校生は報道やネットの情報を見ていると、もしや、くまのお母さんの知人のお子さんかもしれない???と考えています。

その高校生の学校に通う生徒のお母さんに話を聞きましたが、生徒たちも思い当たることがなく、ただただ困惑しているらしいです。

優秀でやさしくて冬休みも課外授業や部活に出て来ていたそうです。

そして生徒の間では、「自死ではなく体調不良による事故だったんだ」ということになっているらしいです。

 

そうですよね。

自死だなんて信じたくありませんよね。

自分の言動が彼または彼女を自死に至らせたとか思いたくありませんよね。

学校でいじめがあったとか思いたくありませんよね。

事故だったら悲しくても誰のせいにしなくても済みますものね。

 

そうして、彼または彼女の死が何を意味するのかわからないまま、みんな大人になってしまうのも、やりきれないなと思います。

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 自死遺族へ
にほんブログ村

死ぬよりほかに

(今日はくまのお母さんはいません。)

立て続けに高校生が列車にはねられたニュースを見て、死ぬよりほかになかったのだろうかと悲しくなります。

「学校へ行きたくない」と親にも先生にも言えなかったのでしょうか。

同僚のお子さんが高校生で、不登校気味になることがあり、シングルマザーの彼女は頑張って支えています。

こういうニュースを見ると「まさか我が子が」なんて頭をよぎるのでしょうか。

亡き息子も不登校とはいかないけれど中学や高校で嫌なことがあり、体調を崩したことがありましたが、死ぬことを考えるとは思いもしませんでした。

でも辛いことばかりだと思うと、生きていてもいいことがあると思えないというのは、わかります。

それでも寝て食べてエネルギーを蓄えていけば、死ななくて済むと思います。

そう、冬眠するみたいに。

「くまのお母さん」もそろそろ冬眠した方がいいかもしれないと思うこの頃です。

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 自死遺族へ
にほんブログ村