くまのお母さんは、以前、自死遺族のためのカフェを作りたいなぁと思いました。
分かち合いというより、人目を気にせずホッとできる居場所です。
それにしても、自死遺族が回復(?)するためのステップとして、分かち合いは必要不可欠なのでしょうか。
分かち合いの会に参加しても、発言するしないは自由なので、会に参加しても参加者の話を聞くだけでは、自分の思いは分かち合ってもらっていないということです。
でも自分の気持ちを聴いてもらうために、何年も時間がかかることもあるかも知れません。
くまのお母さんは、子どもの頃からポーカーフェイスで、自己開示がとても苦手です。
それなのに、坊やの自死について人に話すとか、くまのお母さん的にはあり得ないことなのですね。
だけど、くまのお母さんが楽に生きるためには、自己開示が必要かも知れないということも意識しています。
とはいうものの、自死遺族の分かち合いの会の運営をしてくれと言われても、正直、やりたいと思いません。
くまのお母さんのカフェと分かち合いの会はイコールではないです。