くまのお母さんの物語

一人息子を亡くした、くまのお母さんの物語(ナラティブ)です。

御朱印帳

坊やの1周忌をした翌日、坊やの大学の先輩たちがお墓参りに来てくれました。

お家にお連れして仏壇で拝んでもらえばよいのですが、体格の良い大人が何人もくつろげるスペースがないので、お墓参りだけしていただきました。

坊やは都会のスマートな一人暮らしのインテリアに傾倒していましたから、そのイメージが崩れるのは本意ではないかもねと、くまのお母さんは思ってみたりします。

墓地のある場所とかお墓自体は、たぶん坊やも許してくれるような佇まいだと思うので、いつもお墓に案内するのです。

 

お墓参りのあと、坊やとよく行ったパスタ屋さんで食事をしました。

「坊やくんは麺類のイメージなかったなぁ?」

とぞう先輩が言いました。

「パスタは好きだったかも。」

とうさぎ先輩が言いました。

くまのお母さんは坊やが都会で過ごした場所を知りたくて、先輩たちと出かけたお店や場所を教えてもらいました。

「都会には坊やくんの痕跡があちこちにありますからね。」

とぞう先輩が言いました。

くまのお母さんはメモを取りながら、いつか坊やがいたお店を巡ろうと思いました。

 

坊やは御朱印帳を持っていて、あちこちの神社仏閣を巡っていたようでした。

うさぎ先輩と明治神宮にも参拝したとのことでした。

坊やは神様仏様に祈りを捧げて救いがあったのでしょうか。

くまのお母さんんが幼い頃に通った保育園は、お寺が経営していて毎日神様仏様と唱えて合掌するのが習慣でした。

坊やが亡くなって、くまのお母さんは神様仏様の救いはどこにあるのだろうと思いました。

それでもやっぱり神様仏様を拝むのだろうと思います。

朱印帳は遺品として持ち帰りたかったのに、アパートの坊やの本を仕分けする時、古本屋さんに持って行かれてしまいました。

あの頃は御朱印帳ってよく知らなかったくまのお母さんです。

仕方ないです。

 

最期までLINEでやりとりしていた坊やの先輩たちです。

きっと坊やが一番信頼していた人たちです。

でも坊やがこんなことになるとは予想していなかったからこそ、やっぱりもやもやすると思うのです。

坊やが寂しそうにしていたと、うさぎ先輩が言いました。

就活がきつかったんだろうとぞう先輩が言いました。

大学1〜2年生頃の坊やなら、誰かに何か言われても

「先輩!聞いてくださいよ〜、こんなこと言われたんですよ?ひどいと思いませんか。」

と怒っていたのにねって言われました。

それがどんどん人に言われたことを真に受けるようになって受け流せなくなって、たまっていったのかなと。

 

どうしてそうなったんでしょう。

今出来ることをするしかないと、くまのお母さんは思うだけです。

 

やさしい先輩たちはまた来ると言って新幹線に乗って都会に帰りました。

ただただありがたい気持ちでいっぱいのくまのお母さんです。

 

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