くまのお母さんの物語

一人息子を亡くした、くまのお母さんの物語(ナラティブ)です。

ある日突然に自殺して呆然となる

くまのお母さんの感覚。

psichiatra.blogspot.jp

このブログ記事を読んで、えーっていう感覚と、くまのお母さんはこのドクターの考え方はなじむなぁという思いになりました。

そもそも、自殺という言葉を知ってそれから自死という言葉を知ったので、いい悪いはさておき、なじみがある言葉は自殺です。

それは第三者としての立ち位置からの感覚で、自死遺族となった今ではまた違うのかもしれません。

言葉の使い方がどうこういうのは書きませんが、今日はこのブログ記事を読んで共感したことを書きます。

自殺への一線を超えるかどうか、それは誰にも分からないのだ。自殺させないように気をつけながら真剣に向き合っている精神科医でさえ、その患者がある日突然に自殺して呆然となることがある。それくらい、ある人が自殺するかどうかなんて分からないものだ。

 死にたい人すべてが死にたいアピールをするわけではありません。

言われなければわからないことはたくさんあると思います。

くまのお母さんは、昔、誰かに自分の気持ちを探られることをあからさまに拒否していた時期がありました。

悲しくても辛くても平気なふりをしていることで、自分を守れるような気もしていました。

坊やは色んな人に相談していたし、話をしていたし、くまのお母さんも認知行動療法をすすめたりと気にかけていました。

インフルエンザの予防接種をしてもインフルエンザにかかることがあるっていうのと似ているんでしょうか。

そう思うと何となく楽になるような気がするくまのお母さんです。

 

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