悲しいってどういうことだろう。
愛しているっていうことだ。
「悲しみを分かち合う。」と言うけれど「愛を分かち合う。」と言うことは多くないように思う。
愛は独り占めしたいという感情が湧くものかもしれない。
悲しみは一人で抱えているのが辛い。
そこが違うのかなとくまのお母さんは思います。
くまのお母さんが見た夢ではありませんが、Twitterで見つけて、久しぶりに泣きました。
変な時間に目が覚めたので、以前見た悲しくてへんな夢(自分に子が居てそれがなぜか白熊)をそのまま描いた、らくがき漫画を貼りにきました。
— 高野雀 (@tknszm) 2018年6月4日
描いてみて初めて気づいたんですけど、熊ってめっちゃ難しくないですか…動物イラストを描いている方々の観察眼と技術のすごさを実感しました。 pic.twitter.com/mTKFDbQrGs
「私はこの子に何も教えてあげられなかったんじゃないかしら」
「どうしたの」
「泣かないで おかあさん」
この漫画の白熊が坊やのように思えました。
くまのお母さんは、坊やを思い出して泣くことはあまりありません。
でも、たまには泣けてきます。
思わぬタイミングで悲しみは溢れてくるのです。
悲しいからどうするか。
それは自分で選ぶことです。
前向きという言葉、くまのお母さんは好きな言葉ではありませんが、今を生きることに集中していきたいと思います。
ショッキングな記事を見つけました。
残された人たちそれぞれが、ずっと自殺の謎と向き合い続けるしかないのです。
くまのお母さんは坊やを亡くして2年半が過ぎましたけれども、傷にはかさぶたを作らないようにしようと思ってきました。
かさぶたで傷を塞げば、何かの拍子にかさぶたが取れてまた血が流れるかもしれません。
痛みを感じるかもしれません。
だからかさぶたは作りたくない。
傷はラップで塞いだ方が痛くなく早く治るのです。
だけど、間違ったやり方をすると傷が悪化します。
いずれ、できたばかりの傷と時間が経った傷とそれぞれに応じたケアをしていかなければなと思いました。
自死遺族としては、自責の念にかられるのは致し方ないのですが、「自分の力の及ばない限界がある」ということは認めた方が楽になるのではないでしょうか。
くまのお母さんはシングルマザーになって、正社員で働くことが叶わず、ずっと非正規で働いてきたので、どちらかといえば貧困家庭でした。
どちらかと言わなくても、坊やが国立大学に入って授業料の全額免除を受けられるくらいは貧困でした。
くまのお母さんは貧困家庭の子でも貧困のスパイラルにはまらないでやっていけるというケースをたくさん探して、坊やも優秀なんだからやっていけるはずと思っていました。
でもデリケートな坊やにはそれはなじまないことだったのでしょう。
くまのお母さんは、坊やを他の誰かと比べてしまったんですね。
坊やの気質に寄り添えていなかったのかもしれません。
それでも、すごく厳しい環境で生き抜いている人だっているのに、坊やには困難なことだったのかと納得することも、くまのお母さんには容易ではないです。
くまのお母さんは、仕事に必要なオンライン研修50分からの確認テストでくたびれました。
その確認テストというのが、満点取らないとダメなやつで、ケアレスミスで3回くらい無駄にしました。
時間を置くと、やる気スイッチが入るまでまた時間がかかるので、勢いで全部終わらせたかったのですが、休憩をとらないとダメですね。
わかっているんだけどな。
さて、やっと一息ついたので、ネットを徘徊していたら、
「そう!これこれ!」
と思う記事を見つけました。
坊やはこのタイプだったんじゃないかって思ったのです。
不登校ではありませんでした。
学校に行きたくない日もありましたが、何とか登校できるようにくまのお母さんはがんばってフォローしていました。
そんなことしない方がよかったのかしら。
他にアプローチの方法があったのかしらと思いますが…
ああ、生きづらいってことだったんだなと思いました。
生きづらい≠死にたいではないのですが。
坊やが赤ちゃんの頃から味には敏感だったと思います。
好き嫌いがあるとかいう問題とも違う気がしました。
そして、坊やは怒鳴り声がトラウマになっていました。
モラハラなくまのお父さんが怒鳴っていたからだと思っています。
「人一倍敏感な大人(HPS)」のチェックリストです。
■HSPセルフチェック(自己診断)リスト
1.自分を取り巻く環境の微妙な変化によく気づくほうだ
2.他人の気分に左右される
3.痛みにとても敏感である
4.忙しい日々が続くと、ベッドや暗い部屋などプライバシーが得られ、刺激から逃れられる場所に引きこもりたくなる
5.カフェインに敏感に反応する
6.明るい光や強いにおい、ざらざらした布地、サイレンの音などに圧倒されやすい
7.豊かな想像力を持ち、空想にふけりやすい
8.騒音に悩まされやすい
9.美術や音楽に深く心動かされる
10.とても良心的である
11.すぐにびっくりする(仰天する)
12.短期間にたくさんのことをしなければならない時、混乱してしまう
13.人が何かで不快な思いをしている時、どうすれば快適になれるかすぐに気づく(例えば電灯の明るさを調節したり、席を替えるなど)
14.一度にたくさんのことを頼まれるのがイヤだ
15.ミスをしたり、物を忘れたりしないようにいつも気をつける
16.暴力的な映画やテレビ番組は見ないようにしている
17.あまりにもたくさんのことが自分のまわりで起こっていると、不快になり神経が高ぶる
18.空腹になると、集中できないとか気分が悪くなるといった強い反応がおこる
19.生活に変化があると混乱する
20.デリケートな香りや味、音、音楽などを好む
21.動揺するような状況を避けることを、ふだんの生活で最優先している
22.仕事をする時、競争させられたり、観察されたりしていると、緊張し、いつもの実力を発揮できなくなる
23.子どものころ、親や教師は自分のことを「敏感だ」とか「内気だ」と思っていた
もっと早く知っていたらよかったなとくまのお母さんは思います。
またたらればになってしまいますが、今わかったことで、あの時こうだったのかなと納得できるのかもしれません。
(今日はくまのお母さんはいません。)
久しぶりに、仕事がらみで精神科医の講演を聞く機会がありました。
埼玉医科大学国際医療センター精神腫瘍科教授の大西秀樹先生のお話でした。
がん患者本人やその家族の心のケアにあたるのが精神腫瘍科なのだそうです。
がん患者の遺族のための遺族外来で遺族のケアにも当たっているとのことです。
がん患者さんの自死の話もされました。
遺族への援助ということでは、遺族が受けている援助の8割は有害だとおっしゃっていて、思わず膝を打ちたくなりました。
私は自死遺族でがん患者の遺族ではないけれど、話を聞いてほしいと思いました。
改めて、死を受け入れることの重さを感じましたし、そうすることで生きていけるような気がしました。
つらいですけどね。
亡くなった我が子が寒いだろうから湯たんぽを用意するとか、そういうのを精神疾患と間違えないようにと話されたのは、いい意味でショックでした。
亡くなった人を感じるのは当たり前のことなのだと心強く思いました。