くまのお母さんの物語

一人息子を亡くした、くまのお母さんの物語(ナラティブ)です。

貧困家庭の子

くまのお母さんはシングルマザーになって、正社員で働くことが叶わず、ずっと非正規で働いてきたので、どちらかといえば貧困家庭でした。

どちらかと言わなくても、坊やが国立大学に入って授業料の全額免除を受けられるくらいは貧困でした。

くまのお母さんは貧困家庭の子でも貧困のスパイラルにはまらないでやっていけるというケースをたくさん探して、坊やも優秀なんだからやっていけるはずと思っていました。

でもデリケートな坊やにはそれはなじまないことだったのでしょう。

くまのお母さんは、坊やを他の誰かと比べてしまったんですね。

坊やの気質に寄り添えていなかったのかもしれません。

それでも、すごく厳しい環境で生き抜いている人だっているのに、坊やには困難なことだったのかと納得することも、くまのお母さんには容易ではないです。

 

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人一倍敏感な子

くまのお母さんは、仕事に必要なオンライン研修50分からの確認テストでくたびれました。

その確認テストというのが、満点取らないとダメなやつで、ケアレスミスで3回くらい無駄にしました。

時間を置くと、やる気スイッチが入るまでまた時間がかかるので、勢いで全部終わらせたかったのですが、休憩をとらないとダメですね。

わかっているんだけどな。

さて、やっと一息ついたので、ネットを徘徊していたら、

「そう!これこれ!」

と思う記事を見つけました。

dot.asahi.com

坊やはこのタイプだったんじゃないかって思ったのです。

不登校ではありませんでした。

学校に行きたくない日もありましたが、何とか登校できるようにくまのお母さんはがんばってフォローしていました。

そんなことしない方がよかったのかしら。

他にアプローチの方法があったのかしらと思いますが…

ああ、生きづらいってことだったんだなと思いました。

生きづらい≠死にたいではないのですが。

坊やが赤ちゃんの頃から味には敏感だったと思います。

好き嫌いがあるとかいう問題とも違う気がしました。

そして、坊やは怒鳴り声がトラウマになっていました。

モラハラなくまのお父さんが怒鳴っていたからだと思っています。

「人一倍敏感な大人(HPS)」のチェックリストです。

HSPセルフチェック(自己診断)リスト
1.自分を取り巻く環境の微妙な変化によく気づくほうだ
2.他人の気分に左右される
3.痛みにとても敏感である
4.忙しい日々が続くと、ベッドや暗い部屋などプライバシーが得られ、刺激から逃れられる場所に引きこもりたくなる
5.カフェインに敏感に反応する
6.明るい光や強いにおい、ざらざらした布地、サイレンの音などに圧倒されやすい
7.豊かな想像力を持ち、空想にふけりやすい
8.騒音に悩まされやすい
9.美術や音楽に深く心動かされる
10.とても良心的である
11.すぐにびっくりする(仰天する)
12.短期間にたくさんのことをしなければならない時、混乱してしまう
13.人が何かで不快な思いをしている時、どうすれば快適になれるかすぐに気づく(例えば電灯の明るさを調節したり、席を替えるなど)
14.一度にたくさんのことを頼まれるのがイヤだ
15.ミスをしたり、物を忘れたりしないようにいつも気をつける
16.暴力的な映画やテレビ番組は見ないようにしている
17.あまりにもたくさんのことが自分のまわりで起こっていると、不快になり神経が高ぶる
18.空腹になると、集中できないとか気分が悪くなるといった強い反応がおこる
19.生活に変化があると混乱する
20.デリケートな香りや味、音、音楽などを好む
21.動揺するような状況を避けることを、ふだんの生活で最優先している
22.仕事をする時、競争させられたり、観察されたりしていると、緊張し、いつもの実力を発揮できなくなる
23.子どものころ、親や教師は自分のことを「敏感だ」とか「内気だ」と思っていた

もっと早く知っていたらよかったなとくまのお母さんは思います。

またたらればになってしまいますが、今わかったことで、あの時こうだったのかなと納得できるのかもしれません。

 

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遺族ケア

(今日はくまのお母さんはいません。)

久しぶりに、仕事がらみで精神科医の講演を聞く機会がありました。

埼玉医科大学国際医療センター精神腫瘍科教授の大西秀樹先生のお話でした。

がん患者本人やその家族の心のケアにあたるのが精神腫瘍科なのだそうです。

がん患者の遺族のための遺族外来で遺族のケアにも当たっているとのことです。

がん患者さんの自死の話もされました。

遺族への援助ということでは、遺族が受けている援助の8割は有害だとおっしゃっていて、思わず膝を打ちたくなりました。

私は自死遺族でがん患者の遺族ではないけれど、話を聞いてほしいと思いました。

改めて、死を受け入れることの重さを感じましたし、そうすることで生きていけるような気がしました。

つらいですけどね。

亡くなった我が子が寒いだろうから湯たんぽを用意するとか、そういうのを精神疾患と間違えないようにと話されたのは、いい意味でショックでした。

亡くなった人を感じるのは当たり前のことなのだと心強く思いました。

 

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身元不明

(今日はくまのお母さんはいません。)

今朝のNHKニュースで、身元不明死者の特集をやっていました。

ある自死した女性は行方不明届が出た日に亡くなっていたそうです。

家族は、突然いなくなり寂しかったと泣いていました。

まったく死にたいそぶりがなかったと。

話してほしかったと。

本当に周囲に気づかれないようにして亡くなる人がいるということ。

家族がいても友達がいても孤独ということ。

本音を悟られないように振る舞う人の気持ちに気づかなければいけないでしょうか。

亡くなった人は、それでも気づいてほしかったと思うのでしょうか。

 

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母の日

くまのお母さんが嫌いな日に母の日があります。

坊やが生きていた頃は

「ねぇねぇ、母の日がくるよー。」

なんて言ってたものですが、今はくまのお母さんがこの世で母の日を母として過ごす意味がないです。

もちろん、くまのお母さんの母親は健在なので、今年はエプロンをプレゼントしました。

坊やのお母さんとして過ごした日々は、かけがえのないものですけれど、過去でしかなくなりました。

理解はするけれど納得できない感じのくまのお母さんです。

 

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闇の先に光はある

大切な人が亡くなると、目の前には闇が広がっているように思えます。

闇は元々あったのでしょうか。

大切な人が生きていた頃は、大切な人が亡くなることよりも些細な出来事で自分は闇の中にいるような気がしたかもしれません。

大切な人が亡くなることよりつらいことがこの世にあるのかという気持ちになります。

誰もが様々な悲しみを経験するのでしょうが、悲しみは自分だけのものであり、人と比べることはできません。

悲しみを抱えながら光の中にいてもいいではありませんか。

悲しみを乗り越えなければ闇を抜け出せないのだとしたら、自分がそういう設定にしているからでしょう。

くまのお母さんは、坊やの供養をすることで坊やとともに生きていると考えています。

昨日は坊やの好きな漫画家さんの最新刊が届いたので、くまのお母さんは坊やにお供えしました。

 

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私は生きるに値しない

(今日はくまのお母さんはいません。)

 大切な人が亡くなったことを誰かのせいにすると自責の念から、幾らかでも逃れられるだろうか。

自責の念って多分、自動思考のような気もする。

だから、そもそも自責の念がない人はいるのだろう。

自責思考がデフォルトになっていれば、それを切り替えるのはなかなか面倒だろうと思う。

しかしながら、誰かのせいにしたところで大切な人は戻ってはこないことは事実だ。

自責の念にかられても戻ってこないように。

 

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