くまのお母さんの物語

一人息子を亡くした、くまのお母さんの物語(ナラティブ)です。

小室さんバッシング

(今日はくまのお母さんはいません。)

なんというか、そこまでして一般人の小室圭さんを叩く必要があるのかなと思います。

そして鬼の首を取ったように、小室さんのお父さんが自死したことについて根掘り葉掘り週刊誌が書くとか、自死でなければ、そこまで執拗に週刊誌に書いたでしょうか。

悔しい思いでいっぱいです。

もっとも自死遺族としての小室さんのイメージが感じられないので、その辺はどうなんだろうと思います。

wezz-y.com

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 自死遺族へ
にほんブログ村

さよならの朝に

sayoasa.jp

さよならの朝に約束の花をかざろう」の映画を見てきたくまのお母さんです。

坊やが見た最後の映画が、この監督が脚本を書いた映画「心が叫びたがってるんだ。」でした。

だから、坊やもきっとこの映画を見たいだろうなと思ったので。

映画を見る前は、さよならの朝ってどういう意味だろうなと思っていましたが、映画を見ていくうちに、さよならっていうのは亡くなることなんだろうなとぼんやりと考えました。

約束の花の意味はよくわかりませんでした。

折に触れて想像してみたいと思います。

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 自死遺族へ
にほんブログ村

イヤな質問

この春から、仕事を増やしたくまのお母さんは、いろんなところで初めて会う人が多くて、ちょっと疲れていました。

初めて会うということは、くまのお母さんの坊やのことをご存じないということです。

だいたい、

「お子さんは?」

と聞かれます。

くまのお母さんは

「亡くなりました。」

と答えます。

それを聞いて、謝る方もいれば、

「どうして亡くなったんですか。ご病気ですか。」

と聞く方もいます。

そこまで聞くことかー、とくまのお母さんは思いますが、素朴な疑問でしょうからね。

曖昧に返事をして、それ以上突っ込むなオーラを出します。

そして、初めて会う人に子どものことを聞かれるのはイヤだなと思うくまのお母さんです。

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 自死遺族へ
にほんブログ村

未来がある

くまのお母さんは、坊やの大学のサークルのライングループのトークをリアルタイムで偶然見ました。

坊やのスマホは解約したけれど、Wi-Fiでネットにつながっているのです。

坊やの現在や未来はそこにはないけれど、坊やの先輩や仲間の現在や未来が流れてゆきます。

結婚が決まっただとか、もうすぐ赤ちゃんが生まれるだとか、坊やが生きていたら(生きていたらという言葉を使うことに違和感)、どんな反応したんだろうなって。

死にたくても生きていればよかったんだな。

今を生きていればよかったんだな。

そんなことも思うくまのお母さんです。

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 自死遺族へ
にほんブログ村

誰かが危ない所に行こうとしていたら

今日はまたブログ書きます。

家族を亡くした悲しみといっても、誰かと比べられるものではないでしょう。

誰が亡くなったか、亡くなった理由は、など。

悲しみは決して他人と比べてはいけないと思います。

digital.asahi.com

私は東日本大震災の被災県に住んでいるので、7年前に家族を亡くした方が大勢いたのです。

津波で家族を亡くしても、自死で家族を亡くしても、家族が突然亡くなったことだけ事実で。

そのことの解釈はそれぞれ違うはずなのです。

「誰かが危ない所に行こうとしていたら、絶対引きとめて。

大切な人を守ってほしいんです。

私は後悔している」

 自死する人は、家族にそれと気づかれないように振る舞うことが多いのではないかと思います。

だから遺された家族は後悔するのだろうと思います。

まさか死んでしまうなんて思えない、思いたくない。

命の危機を感じたらすぐに引き留めることが大事だけど、わからないことも多いと思うので、そのことで自分を責めないようにした方がいいかと思います。

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 自死遺族へ
にほんブログ村

あの子はこんなことのために生まれて来たんじゃない

(今日はくまのお母さんはいません。)

私は頭では受け入れていると思っています。

でも私は子どもの頃から自分の気持ちに蓋をすることで、自分を守って生きてきたところがあるので、その辺の境目を曖昧にさせています。

ま、しようがない。

そんな私を大事にすることで、次が見えてくるんだろう。

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 自死遺族へ
にほんブログ村