くまのお母さんの物語

一人息子を亡くした、くまのお母さんの物語(ナラティブ)です。

苦労の数だけ喜びになって

くまのお母さんは、シングルマザーでした。

過去形っていうのがツラいところ…

www.buzzfeed.com

くまのお母さんは、このイラスト(漫画)のように毎日毎日がんばって子育てしていました。

坊やは赤ちゃんの頃から繊細でよく泣き、3歳になるまでくまのお母さんにしがみついているような子でした。

くまのお母さんは、どうして坊やは他の子たちのように走り回ったり、じゃれ合うような遊びを好まないんだろうと思っていました。

でもいつかきっと楽になると信じて、くまのお母さんは坊やを抱っこしたり背負ったりして育てました。

養育費もなくくまのお母さんは非正規の仕事しかできなかったので、坊やの教育にはお金をかけられませんでした。

でもお金がなくても教育は重要だと思っていたので、気を使いました。

おかげで坊やが中学生の頃に英検準2級を取れて、パソコンも使いこなせるようになっていました。

相変わらず繊細で、いじめられた感じを持って学校生活を送ることがあったようですが、担任やスクールカウンセラーに相談しながら乗り切ってきました。

県下一の進学校に入学して、都会の国立大学に現役合格して晴れて大学生になり、よいお友達や先輩に恵まれて、坊やが幼稚園から大学までの間で一番、大学時代が楽しかったんじゃないかなとくまのお母さんは思います。

「苦労の数だけ喜びになって…きっと戻ってくる」

とくまのお母さんも信じていました。

だけど、喜び以上の悲しみがやってくるとは予想できませんでした。

つらいことを乗り越えられると考えていたのは、くまのお母さんだけだったのでしょうか。

くまのお母さんが離婚しようと思ったのは、くまのお父さんのひどいモラハラで、このままでは坊やに悪影響があると思ったのです。

離れてしまえば安心だと思ったのですが、くまのお父さんは就活中の坊やに不適切な介入をしていて、他にも人間関係で直接的なきっかけはあったようですが、坊やのメンタル不調に拍車をかけた、そもそもの原因はくまのお父さんの不適切な養育態度だとくまのお母さんは思っています。

離婚しただけではダメだったのか、坊やはくまのお父さんを毒親と切り捨てることができなかったのかとくまのお母さんは思います。

繊細すぎた坊やをどうしたらよかったのかなと思います。

くまの母さんはよかれと思うことはやってきたので、今は、ただただ坊やの供養をしながら生きていくしかないのでしょう。

 

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弔電

くまのお母さんの同級生のご主人が亡くなりました。

学校の校長先生だったので、新聞の片隅の人事異動の記事で見つけました。

先生方の人事異動情報はとっくに出ていましたので、急遽、追加の人事異動になったということです。

くまのお母さんは坊やが亡くなってからというもの、誰かが急に亡くなると

自死かしら?」

とまず考えてしまうのです。

自分と同じ境遇の人をサーチしてしまうんですね。

だけどいちいち確認はしません。

件の同級生のご主人も突然亡くなったそうだと、同級生のひつじさんから聞きました。

くも膜下出血だったそうです。

くまのお母さんは、ひつじさんに坊やが亡くなったことは知らせましたが、死因は知らせていません。

病気や事故ならば、言うのかもしれないなと思いました。

自死に対する差別があると聞きますが、くまのお母さん自身が坊やが自死であることを公表できないうちは、根本的に同じものがあるのかもしれません。

もちろん、くまのお母さんが信頼する人たちには、坊やが自死であることを言ってますけれど。

ひつじさんは、坊やが亡くなったことを聞いたもののお悔やみに来れていないことを詫びていました。

気にしていたんだよって言いました。

みんな公私ともに忙しさに紛れて、同級生との再会は同業者でなければ、誰かが亡くなった時しか集まらなくなってしまいました。

だから、気にかけてくれるだけでありがたいとくまのお母さんは思います。

くまのお母さんは、ひつじさんに同級生のご主人の葬儀会場を教えてもらい、弔電を打ちました。

ひつじさんは、くまのお母さんが新聞で同級生のご主人が亡くなったことを知ったと聞いて関心(?)していました。

少しでも慰めになればいいなと思うくまのお母さんです。

 

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特別学位記

(今日はくまのお母さんはいません。)

熊本地震で亡くなった大学生に特別学位記が送られたとのこと。

中学生で自死した生徒にも番号がない卒業証書が送られたというニュースを目にします。

卒業って一つの区切りにもなるわけですが、息子は大学4年で亡くなったけれど、特別学位記授与とかいう話はありませんでした。

学長からお悔やみの手紙をいただきましたが、普段もそういう対応をしているのでしょうか。

ちょうど、軽井沢スキーバス転落事故もあり、息子の大学の学生さんも亡くなったので、一緒に対応したのかなと思ったりもします。

病気で亡くなった学生に特別学位記を授与したりするでしょうか。

ケースバイケースかもしれませんが、どうなっているのだろうと考えます。

親にしてみれば我が子を亡くした悲しみというのは変わりないものだと思います。

どんな理由であっても我が子がいなくなった事実が確かなことです。

息子の場合は卒業アルバムの個人写真を撮影していて、大学生協からそのことを教えてもらい、卒業アルバムを購入できました。

形が残ることって、遺族にとっては大切なことだなと思います。

www.huffingtonpost.jp

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カミングアウト

くまのお母さんは、あるところで昔の職場の上司に会いました。

その方は何年か前に定年退職されましたが、まだ仕送りが必要なお子さんがいるのだとか。

その流れで坊やにも一度会ったことがある昔の上司は、くまのお母さんに坊やがどうしてるかを聞いてきました。

亡くなりましたと答えると「ごめんね。」と昔の上司は謝りました。

もう、そういうやり取りはこれから避けることはできないので、仕方ないと思いますが、くまのお母さん自ら坊やが亡くなったことを言うのは、なかなか難しいなと思います。

そして、SNSで知ったお茶会にも興味が湧いて参加してみました。

妊婦さんやママさんの集まりだったので、つい、くまのお母さんも坊やの出産体験などをチラッとしゃべってしまいましたので、ここでも坊やは亡くなったということをカミングアウトする羽目になりました…

くまのお母さんの以前の同僚で、家族の話を一切しない方がいました。

(ご主人と娘さんが二人いるんですが)

そこまで割り切れればいいんですが、自己開示も必要な時があるよねってくまのお母さんは思います。

話したくないときは話さない、話してみたいときは話す。

その後の自分の気持ちは必要ならコントロールしていけばいいのでしょう。

坊やが存在していたことを知っていてほしい、覚えておいてほしいとくまのお母さんは思うのです。

二十歳の原点」の本をくまのお母さんの同級生のたぬきさんが働く部署へ寄贈しました。

大学生が多く訪れるところなので、誰かに読んでほしいなと思うのです。

二十歳の原点」の著者に坊やと似たような雰囲気を感じるくまのお母さんとしては、たぬきさんにもくまのお母さんが言いにくい思いをそれとなく汲んでほしいなと思ったりもするのです。

くまのお母さんが学生時代に愛読していたと言うと、たぬきさんは

「へー、イメージと違うねぇ。」

と言い

「読んでみてから図書コーナーに置かせてもらうね。」

と言いました。

今月末で退職するくまのお母さんの置き土産です。

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卒業式

くまのお母さんの地元の国立大学では今日が卒業式でした。

晴れ着を着てキャンパスを歩く学生の姿を見て、坊やも大学を卒業できたらよかったのになとくまのお母さんは思いました。

坊やのスマホをいじっていたら、ホットメールの受信ボックスが開けるようになりました。

ホットメールは坊やが好きな店のメルマガなどの受信に使っていたみたいで、坊やが好きだった店にいつか行きたいなと思いました。

寂しくても悲しくても今日は春の雪が降ります。

カフェオーナーの白鳥さんにパーティーへのお誘いをいただいたのですが、なんだか行く気になれませんでした。

係長は、自死した社員さんの労災関係のあれこれで疲れ切っていました。

大丈夫かな…

 

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二十歳の原点、ふたたび

(今日はくまのお母さんはいません。)

1年以上前の日記にも書きましたが、高野悦子の「二十歳の原点」は私の好きな本でもありました。

そして、彼女が通った京都の大学にも憧れましたが、私立文系の大学など我が家ではまず経済的に進学先の選択肢にはありませんでした。

学歴コンプレックスを自称する私は、私の能力では進学不可能な大学の学生と仲良くなることがとても嬉しかったです。

昔はインターネットもなかったけど、自分の生活圏外の人と親しくなる術というものはあったわけです。

そして、息子の父親と結婚した理由の一つが、高野悦子と同じ大学の出身だったからで、あまりにも安易でした。

二十歳の原点」が好きなのは、自分が死にたくなるほど悩んだからではありません。

どんなときも私は死ぬという選択肢を持ったことはありません。

ただ、割とひとりぼっちで過ごすことは多かったのだと思います。

息子が生まれて育てて進学先を考えたとき、親より優秀だということが不思議であり誇らしくもあり、何より私の学歴コンプレックスを一掃させたのでした。

私が憧れたあんな大学にもこんな大学にも息子は合格してしまって、ただただ感心するしかありませんでした。

息子が死に至ったのは、家庭環境の影響が根深いからだと私は思っていて、高野悦子とはそこが明らかに違うのだろうと思っています。

でも死に至る経緯が所々、似通っているようにも思い、息子に「二十歳の原点」を読ませたかったなぁと思います。

死にたいと思っていても、どこかに生きる希望を見いだすことができれば。

親や周りの人が悲しむから死なないでというのは、死にたい人には響かないんじゃないかと思います。

悲しむかどうかなんて、死んでみないとわからないじゃないですか。

私はそう考えます。

 

bh.pid.nhk.or.jp

 

 

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悲嘆体験

(今日はくまのお母さんはいません。)

原発事故の災害関連体験によるメンタルヘルスの不調の研究があるそうです。

色々ありますが、とりわけ腑に落ちたのが

「悲嘆体験」といった悲しみの感情はずっと引きずることが示されている。

ということです。

悲しみの感情を持ちながらでも毎日の生活を送ることができれば、それでいいのではないかと思っています。

悲しみを頑張って軽くする必要があるでしょうか。

感情の揺らぎは自然に任せて、日常生活をいつもと同じように過ごすことに気を遣うことが大切だと思います。

 

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