6月は
くまのお母さんは市役所へ行ってきました。
寡婦控除がなくなったため、税金が増えました。(>_<)
坊やが亡くなっていなくても、坊やは就職してくまのお母さんの扶養から外れているはずでしたので、税金関係については同じ状況だったのですが。
くまのお母さんは病気を持っているので医療費がかかります。
寡婦医療費を受給していたのですが、今年の更新からは受給対象外になってしまいます。
坊やが亡くなったことと、くまのお母さんが去年、転職したことと、現在無職であることがごちゃ混ぜになってしまいますが、分けて考えれば、坊やが亡くなったことはくまのお母さんの税金や寡婦医療費受給には「全く関係がない」のです。
何かあると「坊やが生きていれば」というような自動思考にならないようにコントロールしなければなぁと思います。
くまのお母さんは離婚したり所得が低かったりしたので、坊やを育てる間は福祉のお世話になってきて、とても助かりました。
坊やの行きたい都会の大学にも進学させることができ、国立大学でしたので授業料も全額免除でした。
くまのお母さんは去年、転職して収入がちょっと増えただけで、寡婦医療費は今年の更新時から受給できなくなります。
本当は今まで助けてもらった分も税金を納めたいと思うのですが、今は働いていないのでそういう気持ちにはなれず…。
かと言ってなんでもいいから働く気持ちもありません。
去年は坊やのお墓を建てるお金が必要で頑張って働きました。
坊やが亡くなって、くまのお母さんは無理をする必要は何もないよなぁと思います。
でも税金や年金を納めなくちゃいけない。
くまのおじいちゃんとおばあちゃんは介護の必要がなくて自分でなんでもできる人たちなので助かります。
介護の必要がないようにくまのおじいちゃんとおばあちゃんに元気でいてもらうことも重要です。
先週、採用面接を受けに行ってきましたが、そこで働けたらいいなぁと思います。
寡婦医療費を受けられなくても大丈夫なくらいな収入が欲しいです。
ちょっと今から仕事やめてくる
(今日はくまのお母さんはいません。)
映画を見てきました。
福士蒼汰主演の「ちょっと今から仕事やめてくる」です。
ネタバレあるかもです…
(あらすじ)
激務により心も体も疲れ果ててしまった青山隆(工藤阿須加)は、意識を失い電車にはねられそうになったところをヤマモト(福士蒼汰)と名乗る男に助けられる。幼なじみだという彼に心当たりのない隆だが、ヤマモトに出会ってから仕事は順調にいき明るさも戻ってきた。ある日隆は、ヤマモトが3年前に自殺していたことを知り……。
ヤマモトは隆が飛び降りようとするのを止めるんですね。
そして、隆はヤマモトの説得を聞いて死ぬのをやめるんです。
死にたい人のそばに寄り添う人がすべて助けられるわけではないと思いますが。
生きていくためには希望が必要なんだということを言いたいんでしょうね。
希望がなければ新しく作ることは難しいかもしれないけれど、やっぱり私にとっては今を生きるしかないのかなという結論になります。
生きる理由
(今日はくまのお母さんはいません。)
死にたい理由より生きる理由の比重が大きくなればいいのかな。
生きる理由を作るっていうのもどうなんだろう。
今の私が生きる理由は息子の供養をするため。
雑誌2冊
坊やが好きな漫画家さんのツイッターを読んで「Maybe!」という雑誌をアマゾンに注文しました。
発売中の「Maybe!」に6P漫画と表4に大塚製薬の絵を描いています。 https://t.co/AwrQUyNLOs pic.twitter.com/6BedY77k6d
— 今日マチ子 kyo machiko (@machikomemo) 2017年6月2日
もう届いちゃいましたよ。
早速、仏壇にお供えしてから、くまのお母さんも読んでみることに。
何だかよくわからないコンセプトの雑誌だなと思ったけれど、坊やが好きな漫画家さんの新作が掲載されているから、何でもいいや!って。
新しくてリアルなファッション&カルチャーマガジン『Maybe!』信用ならない情報社会を生きる好奇心旺盛なカルチャー女子へ向けて、 たぶん、これが世の中の真実だと思われることを毎号特集テーマに合わせて、調査、考察して発信します。
あ、そうなんだ…
女子向けの雑誌だったのね。
「前髪重め」とかいうヘアースタイルって、晩年の坊やのヘアースタイルじゃないですか!
くまのお母さんは視力が悪くなるとか言って、つい前髪長いと気になっちゃいましたが、流行りのスタイルだったんだ。
こういう雑誌、女子向けだけど坊やが好きそうだなとくまのお母さんは思いました。
都会が大好きだった坊やに似合います。
それからもう1冊、坊やが好きな雑誌の最新号に坊やが多分好きだった詩人の特集があったので、一緒に注文して届きました。
退屈な雨の日
6月になりました。
くまのお母さんは相変わらず働かずに家にいます。
SNSで知り合った人たちと会ったりイベントに参加したり、ちょっとの小銭稼ぎをしたりしています。
飼っている猫に間違って坊やの名前で呼んでしまうことは度々ありましたが、昨日、坊やが亡くなって初めて猫に坊やの名前で呼びかけてしまいました。
全然意識していなかったのですが、不思議です。
坊やが大学生になってからずっと離れて暮らしていたので、坊やが家にいない日々が普通のことではあるのですが。
くまのおじいちゃんは坊やの着ていた服やシューズやポーチを使っています。
それも形見だからというのではなく、坊やが身に付けなくなったものをお下がりでくまのおじいちゃんが使っているのです。
だから、坊やが都会暮らしをしていた頃と我が家は変わりない日々を過ごしています。
世の中はいじめによる自死や過重労働による自死のニュースが目立ちます。
くまのお母さんは自死遺族だけにそういう情報に敏感なのでしょうか。
『「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由』という本が話題です。
坊やが亡くなる前にこの本が出版されていたら坊やは読んだでしょうか。
そもそも、くまのお母さんは坊やの体調不良が死に至ることに繋がるとは思いませんでした。
「うちの子に限って」と思っていました。
坊やが亡くなることは考えたくなかったし、向き合うのが怖かったんだと思います。
あーあーあー。
何を言っても坊やが亡くなったことだけが事実です。
離婚したくまのお母さんは、坊やがいれば老後も何とかなるだろうと気楽に考えていました。
ところが、くまのおじいちゃんとくまのおばあちゃんが亡くなったら、一人っ子のくまのお母さんは誰も頼れる身内がいません。
くまのお母さんが死んだ後のことを考えなければと思います。
だから、少しでも収入を多くしたいし、終活も具体的にしようかと思います。
こんな雨の日はそんなことを考えながら過ごしましょうか。
去年は坊やが亡くなったことから逃れるように忙しくしていたところもありました。
もっと余裕を持って暮らしたいです。
許せない奴
(今日はくまのお母さんはいません。)
私が大好きな漫画「夜廻り猫」の更新をいつも楽しみにしています。
↑の漫画を読んで気がついたことを書きます。
この漫画に登場する青年は何をしようとして、夜廻り猫の平蔵に止められたのかなと思いました。
「許せない奴に遭ってしまった」と。
息子も亡くなった直接の原因の引き金がまさにそれだったと思いました。
裏切られた気分でいっぱいになってしまったのかもしれません。
そして、息子が無理に許してきたことというのもたくさんあったように思います。
物事の捉え方を形作ってしまったのは、幼い頃の家庭のゴタゴタが一番大きいかもしれません。
だけど過去は変えられない。
そこからどう生きていくかだと思って、息子には話してきたつもりでしたが、足りない言葉がありすぎました。
息子の最期の日に、夜廻り猫の平蔵がこの漫画のように息子のそばに現れてほしかったと思います。