くまのお母さんはクリスマスや正月などのイベントよりも母の日がいやです。
自死遺族の皆さんはクリスマスや正月が辛くなるようですが、くまのお母さんは母の日がつらいです。
そもそも母の日は亡くなった母親に白いカーネーションを捧げたという話だったのではないかしら。
SNSには我が子から贈られた母の日のプレゼントやお花の投稿であふれます。
しかし、母の日にプレゼントをしてもゴミ箱に捨てられたという毒親な母を持つ方の投稿もあったりして、母の日に対する思いも人それぞれだなと感じました。
(今日はくまのお母さんはいません。)
京都国際写真祭2017というイベントが今日まで開催中です。
吉田亮人さんという写真家が出展しています。
「Falling Leaves」という自身の祖母と従弟の写真を撮った作品です。
小学校教師を辞め写真家の道を選んだ1980年生まれの吉田は、写真家を志した頃から、年下の従兄弟と、従兄弟が生まれた時から生活を共にする祖母の関係性を撮り続けていた。80歳を超え、体の弱くなった祖母を献身的に介護していた従兄弟が、ある日突然姿を消す。そして約1年後、落ち葉の積もる山中にて、遺体が発見される。23歳の若さで自ら死を選んだ従兄弟と、彼が発見された翌年に他界した祖母との、どこか不思議な、けれどまばゆい生の日々を追った記録。
・なぜ、祖母と孫の2人暮らしだったのか。
・大学生の孫(大輝さん)は学費や生活費をどこで得ていたのか。
・大輝さんの両親はどうしたのか。
以上、私が疑問に思ったことです。
大輝さんは看護学生で年老いた祖母を介護しつつ学業に励んでいたと思います。
そもそも大輝さんの両親の存在が語られないのですが、吉田さんをはじめとする親戚も祖母のお世話(?)は大輝さんに任せきりだったわけですよね。
ばあちゃんは大好きで大切だけど、家族(同一世帯)だから孫の自分が面倒を見るのは当たり前なのかもしれないけれど、おじやおばが本来はばあちゃんの面倒を見なくてはいけないのではないだろうか。
そう考えてはいなかったのでしょうか。
経済的な支援も必要ではなかったのでしょうか。
そして、なぜ「自ら死を選んだ」という表現をするのか。
吉田さんもそう思っているんだろうなと思います。
親戚として関わってきた中で大輝さんの死の理由がわからないのですものね。
(これは私個人の想像です。)
大輝さんは良い孫として振る舞うのが辛くなったのかなというのも私の想像でしかありません。
援助を求める力というのは、一人で頑張る人にこそ必要ではないかと思います。
自死は選ぶのではなくて他に選択肢が見えなくなってしまうということなのではないでしょうか。
くまのお母さんは仕事を辞めて2か月目です。
働かないって余計なストレス溜まらなくていいなーと思います。
くまのお母さんが生きてきた中で、今が何にも縛られない時間のような気がします。
どちらかというと時間は効率的に使いたいと思っているくまのお母さんなので、用事はなるべく時間を無駄にしないように工夫します。
しかし、それと何もしない時間、ぼんやり過ごす時間は別です。
ぼんやりする時間を確保するために、用事はテキパキと済ませたいと思います。
それは仕事をしていない今でも同じです。
とりあえず明日食べるご飯には困らないので、仕事をしない日々も満喫しています。
でも無駄遣いしないように毎日食べるパンは手作りして、水も汲んできて使います。
もっとも水を汲みに行くのに車を使うのでガソリン代かかるといえばそれまでですが、ミネラルウォーターを買うよりいいなという自己満足です。
自分のことだけ考えていればいいなんて、今まで殆どなかった気がします。
フルタイムで働いていた時は、家でご飯を作るのもままならなかったので、料理をするのが楽しいです。
坊やが大学生だった頃(そういう表現でいいのかな)は、子育てで一番お金がかかった時期でした。
JASSOから借りていた奨学金は返還免除になったし、雇用保険の再就職手当も受給できたので、坊やのお墓を建てる資金の足しにできました。
あとは、くまのお母さんの老後の暮らしを維持するために稼ぐことを考えましょう。
いつもいつも後回しにしてしまう片付けもやれる分だけを繰り返しましょう。
1年前の4月もくまのお母さんは無職でしたが、無職という状態に焦りを感じていました。
坊やのお墓も建てられたせいか、今は同じ無職でも気楽に過ごせています。
それでいいと思います。
坊やが旅行で巡ったところも行ってみたいなぁと思うくまのお母さんです。
くまのお母さんは銀河鉄道にやっと乗ることができました。
空の彼方へ片道切符で行く銀河鉄道ではなくて、地上を力強く往復する銀河鉄道に坊やを乗せてやりたかったなと思いました。
でも今日はきっとくまのお母さんと一緒に坊やも銀河鉄道に乗っていたように思います。
宮沢賢治の本は難しくてくまのお母さんにはよくわからないけれど、お利口な坊やは宮沢賢治の世界観を理解できたのだろうなと思っています。
銀河鉄道の沿線は、くまのお母さんが若い頃に過ごした町です。
銀河鉄道の終着駅は、大きな津波が来てから、いろんなものがなくなって駅前もすっかり変わってしまいました。
でもくまのお母さんにとって、坊やが亡くなってしまったことが大きすぎる喪失なのです。