こうの史代原作のアニメ映画を観ました。
こうの史代は坊やが好きだった漫画家です。
「この世界の片隅に」は戦時中の広島が舞台です。
なので人が亡くなる映画です。
大切な人が亡くなっても、それでも普通の日々を生きていく姿を描いていると思います。
悲しくてやりきれなくても生きていきます。
娘を亡くした母とか母を亡くした娘とか、自死とは違うけれども感情移入が半端なかったです。
SNSで6年ぶりに自分の息子に会ったというお母さんの投稿を見かけました。
遠くで息子さんが働いていて、帰省もしないし、お母さんは1人では息子さんの住む街へ行けないのだそうです。
そして、そのお母さんの妹さんがその街へ行くので、連れて行ってもらったそうです。
それで6年ぶりに息子さんに会ったとか。
生きているという確信があれば何年も会えなくても大丈夫なものかなぁと、くまのお母さんは思います。
くまのお母さんは坊やに会えなくなって1年と少し。
だけど生きているからこそ、いつか会えると思うし、そこにあるのは希望です。
津波で家族を失った遺族が行方不明になる事案が発生しているらしいです。
会いたくなってしまうんだなぁと思います。
この世で会えないならあの世で会いたいと。
しかし、この世に踏みとどまって亡き人を供養し続けることが大切なことだとくまのお母さんは思います。
坊やの就職が決まって坊やが言ったのは、土日の休みはない職場だから、盆や正月には帰省できないよということでした。
就職したら学生時代のようにちょくちょく帰省は出来ないだろうとは思っていました。
でも年に1度は坊やの帰省を楽しみにできるだろうなと思っていました。
叶わなくなってしまいましたが。
今日もSNSのメッセージが届きました。
カフェのオーナーの白鳥さんからでした。
白鳥さんも坊やの命日を気にかけてくれていたようです。
坊やと同い年の息子さんのママです。
白鳥さんのカフェに、マクロビオティックが好きだった坊やをくまのお母さんは連れて行ってました。
白鳥さんのカフェではクリスマスケーキを販売するのですが、いつも坊やの帰省がクリスマスを過ぎてからだったので、坊やにマクロビオティックのクリスマスケーキを食べさせることが出来ませんでした。
白鳥さんのカフェは、2年前に銀河鉄道の始発駅の近くに引越してしまって、ますますカフェに行きづらくなりました。
クリスマスにはくまのお母さんの住む街に、白鳥さんがクリスマスケーキを売りにきてくれます。
去年はクリスマスケーキどころではありませんでしたけど、今年は久しぶりに白鳥さんのカフェのやさしい味のクリスマスケーキを買いましょうか。
坊やにも食べさせたかったなとくまのお母さんは思います。
坊やの1周忌をした翌日、坊やの大学の先輩たちがお墓参りに来てくれました。
お家にお連れして仏壇で拝んでもらえばよいのですが、体格の良い大人が何人もくつろげるスペースがないので、お墓参りだけしていただきました。
坊やは都会のスマートな一人暮らしのインテリアに傾倒していましたから、そのイメージが崩れるのは本意ではないかもねと、くまのお母さんは思ってみたりします。
墓地のある場所とかお墓自体は、たぶん坊やも許してくれるような佇まいだと思うので、いつもお墓に案内するのです。
お墓参りのあと、坊やとよく行ったパスタ屋さんで食事をしました。
「坊やくんは麺類のイメージなかったなぁ?」
とぞう先輩が言いました。
「パスタは好きだったかも。」
とうさぎ先輩が言いました。
くまのお母さんは坊やが都会で過ごした場所を知りたくて、先輩たちと出かけたお店や場所を教えてもらいました。
「都会には坊やくんの痕跡があちこちにありますからね。」
とぞう先輩が言いました。
くまのお母さんはメモを取りながら、いつか坊やがいたお店を巡ろうと思いました。
坊やは御朱印帳を持っていて、あちこちの神社仏閣を巡っていたようでした。
うさぎ先輩と明治神宮にも参拝したとのことでした。
坊やは神様仏様に祈りを捧げて救いがあったのでしょうか。
くまのお母さんんが幼い頃に通った保育園は、お寺が経営していて毎日神様仏様と唱えて合掌するのが習慣でした。
坊やが亡くなって、くまのお母さんは神様仏様の救いはどこにあるのだろうと思いました。
それでもやっぱり神様仏様を拝むのだろうと思います。
御朱印帳は遺品として持ち帰りたかったのに、アパートの坊やの本を仕分けする時、古本屋さんに持って行かれてしまいました。
あの頃は御朱印帳ってよく知らなかったくまのお母さんです。
仕方ないです。
最期までLINEでやりとりしていた坊やの先輩たちです。
きっと坊やが一番信頼していた人たちです。
でも坊やがこんなことになるとは予想していなかったからこそ、やっぱりもやもやすると思うのです。
坊やが寂しそうにしていたと、うさぎ先輩が言いました。
就活がきつかったんだろうとぞう先輩が言いました。
大学1〜2年生頃の坊やなら、誰かに何か言われても
「先輩!聞いてくださいよ〜、こんなこと言われたんですよ?ひどいと思いませんか。」
と怒っていたのにねって言われました。
それがどんどん人に言われたことを真に受けるようになって受け流せなくなって、たまっていったのかなと。
どうしてそうなったんでしょう。
今出来ることをするしかないと、くまのお母さんは思うだけです。
やさしい先輩たちはまた来ると言って新幹線に乗って都会に帰りました。
ただただありがたい気持ちでいっぱいのくまのお母さんです。
坊やの1周忌を済ませました。
何をしたわけじゃないけれど、くまのお母さんはとっても疲れました。
くまのお母さんは初めてのことに弱いのかなと思いました。
意味のない気疲れが半端なかったのです。
それに、くまのお父さんが都会から来るので、駅に迎えに行ったり、食事をしたり。
何のために離婚したんだかわかりません。
でも坊やのお父さんなので、坊やを亡くして悲しい親の立場を尊重しようと思います。
でも本当は会いたくないのです。
くまのお母さんは自分の気持ちを大切にしていないのかなと思うと悲しくなります。
養育費も払わないくまのお父さんにそこまでする義理はないよなと思ってみたりもします。
そもそも、坊やが自死した根本的な原因はくまのお父さんにあると考えるくまのお母さんです。
でも
「くまのお父さんのせいで坊やは自死したんだ。」
と言えないくまのお母さんです。
あ、坊やが亡くなってから都会の警察でくまのお父さんに会ったときに、似たようなことは言ったかもしれません。
今日は「でも」ばっかりです。
疲れたんです。
お金もいっぱいかかりました。
くまのお父さんをまた駅に送ってから、くまのお母さんは会社に行って仕事までしていました。
喪服を着てね。
これから日帰り温泉に行ってきます。