くまのお母さんの物語

一人息子を亡くした、くまのお母さんの物語(ナラティブ)です。

生きていればいいことがある

死にたいという気持ちで生きていく。

死にたいと思いながら天寿を全うする。

死にたいと思いつつ、いいこともある。

基本、死にたいけれど生きていく。

そんな人生でもいいのかな。

いいことってね、宝くじが当たるとか、幸せな結婚をするとか、いい会社に就職するとか、そういうことのみならず、今日食べたご飯が美味しいとか、心が弱っているときに支えられたとか、猫に癒されたとか、そんなことだとくまのお母さんは思います。

そんな日々の暮らしで見つけるいいことは、誰かにとってはいいことと呼べるものではないかもしれません。

当たり前のことだと。

楽に生きる方法は必ずあるとくまのお母さんは信じています。

坊やの生き抜いた人生を大切にしつつ、くまのお母さんの人生も大切にしていこうと思うのです。

 

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フォロワーさん

坊やのTwitterのフォロワーさんで、坊やが亡くなる直前までやり取りをしていた女の子がいます。

くまのお母さんは坊やのスマホを見て知りました。

坊やが亡くなってからも、時々思い出してくれているみたいで、たまにメッセージがきます。

昨日もメッセージくれていました。

ありがたいなと思います。

くまのお母さんは彼女とやり取りしたいなと思うのですが、まさか親が亡くなった子のスマホを見ているとは思わないだろうから…

大学を卒業して仕事をがんばっている彼女に、くまのお母さんは心の中でそっと応援をしているのです。

生きてくれてありがとうと。

 

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いい子にしていたのにね

このツイートを読んで、くまのお母さんは家族を亡くした人すべてに当てはまるんじゃないかと思いました。

でも悪い子だったから家族は亡くなったと考える方が、自分が楽なのかもしれないとくまのお母さんは考えます。

いい子か悪い子か、それは関係のない部分です。

自責の念を持とうとそうでなかろうと、大切な家族が亡くなったことは事実でしかありません。

自責の念を持っても亡くなった人の肉体は今世に戻ってきません。

パラレルワールドで会えれば別ですが。

くまのお母さんは、つらいときにつらいと自覚しないようにして生きてきたので、楽になりたいと思います。

 

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天使ママ

「ママにしてくれてありがとう」

っていう気持ちは、くまのお母さんにもありました。

って、過去形ですかって感じですね。

坊やがいた日々は過去でしかないということ。

悲しすぎる現実とともに生きること。

 

 

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仕事で失敗したこと

くまのお母さんは、あまり仕事の失敗で落ち込むとかないのですが、今日は「失敗したーっ」て思いました。

顔から火が出るとはこのことでしょうか。

謝罪はしましたし、相手方も納得してくださったようですが、いろいろムカつく案件でした。

さぁ、ここでどう反応するかが問題なのですよ?

この出来事に対してどう反応するか、くまのお母さんが自分でコントロールするんですよ?

感情のなすがままではなくてね。

謝らなくてはいけない人がもう1人いて、今日は連絡がつかなかったので持ち越しです。

仕方ないですね。

くまのお母さんだけではなくて、世の中には仕事でミスしたということはあちこちであるんでしょうね。

そして、怒りや恐れや不安やネガティブな感情に苛まれてしまう人もいるんですよね。

くまのお母さんは「あーあ」って落ち込み気分で車で帰宅しました。

すると、仕事中や通勤時にはほとんど感じない坊やの香りがしたんですよ。

坊やが慰めてくれてるのかなって思いました。

坊やもアルバイトしていていろいろトラブってしょげていたこともありましたっけ。

そうね、坊やのお母さんだもの。

そんなくまのお母さんです。

 

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同じ体験もどう感じるかで結果が違う

Twitterでそう呟いている人がいて、腑に落ちたところがあるくまのお母さんです。

普通はとか一般的にとか大部分のとか、決して一緒にはならない部分はあるのかと。

自死遺族は幸せを感じたらおかしいのでしょうか。

自死遺族はいつも人の目を気にして俯いているものでしょうか。

共有できるのは、大切な家族を自死で失ったという体験です。

遺族の気質や環境、続柄などで、どう感じるかは違うのだろうと思います。

くまのお母さんは、自死遺族ということを公開して活動しているシンガーソングライターのミニライブを聴きに行きました。

とてもパワフルなエネルギーはどこから来るんだろうと思いますが、それでも亡くなった人への想いは何十年経っても変わることがないのでしょう。

 

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子どもの自死

(今日はくまのお母さんはいません。)

自死ではなく自殺という表記ですけれどもね。

www.nhk.or.jp

息子が死にたいと最初に思ったのは、多分、小学3年生の頃です。

死にたいとは言いませんでしたが、自分が交通事故にあって死ぬというイメージを持っているようなことがありました。

当時は、まさに「親子関係の不和」によるところが大きかったです。

今はすぐに虐待通報をすすめられる時代ですが、当時は息子を児童相談所に連れて行き、相談したり、一時保護をお願いしたこともありました。

何とか父親から離そう、安全なところで暮らそう、そればかり考えていました。

私自身を守るためでもありましたが、息子を守るためでもありました。

アンケートで4割の子どもが死にたいと思ったことがあると回答しているとのことですが、Twitterを見てると「尊死」なんていう言葉が日常的に使われているようなので、深い意味もなく「死」という言葉を使っているのではないかと思います。

だから、その4割が本気で死にたいのかな?とも思ったりします。

ある方が「コップの水が半分の時、自分は半分しかないって思ってるのに、半分もあるという見方を押し付けないで。」と話していました。

ということは認知行動療法なんていうのは、押し付けなんでしょうか。

でも大切な人が死んでほしくないんです。

それだけなんです。

 

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