くまのお母さんの物語

一人息子を亡くした、くまのお母さんの物語(ナラティブ)です。

無職な日々

くまのお母さんは仕事を辞めて2か月目です。

働かないって余計なストレス溜まらなくていいなーと思います。

くまのお母さんが生きてきた中で、今が何にも縛られない時間のような気がします。

どちらかというと時間は効率的に使いたいと思っているくまのお母さんなので、用事はなるべく時間を無駄にしないように工夫します。

しかし、それと何もしない時間、ぼんやり過ごす時間は別です。

ぼんやりする時間を確保するために、用事はテキパキと済ませたいと思います。

それは仕事をしていない今でも同じです。

とりあえず明日食べるご飯には困らないので、仕事をしない日々も満喫しています。

でも無駄遣いしないように毎日食べるパンは手作りして、水も汲んできて使います。

もっとも水を汲みに行くのに車を使うのでガソリン代かかるといえばそれまでですが、ミネラルウォーターを買うよりいいなという自己満足です。

自分のことだけ考えていればいいなんて、今まで殆どなかった気がします。

フルタイムで働いていた時は、家でご飯を作るのもままならなかったので、料理をするのが楽しいです。

坊やが大学生だった頃(そういう表現でいいのかな)は、子育てで一番お金がかかった時期でした。

JASSOから借りていた奨学金は返還免除になったし、雇用保険の再就職手当も受給できたので、坊やのお墓を建てる資金の足しにできました。

あとは、くまのお母さんの老後の暮らしを維持するために稼ぐことを考えましょう。

いつもいつも後回しにしてしまう片付けもやれる分だけを繰り返しましょう。

1年前の4月もくまのお母さんは無職でしたが、無職という状態に焦りを感じていました。

坊やのお墓も建てられたせいか、今は同じ無職でも気楽に過ごせています。

それでいいと思います。

坊やが旅行で巡ったところも行ってみたいなぁと思うくまのお母さんです。

 

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はるかなる銀河鉄道

くまのお母さんは銀河鉄道にやっと乗ることができました。

空の彼方へ片道切符で行く銀河鉄道ではなくて、地上を力強く往復する銀河鉄道に坊やを乗せてやりたかったなと思いました。

でも今日はきっとくまのお母さんと一緒に坊やも銀河鉄道に乗っていたように思います。

宮沢賢治の本は難しくてくまのお母さんにはよくわからないけれど、お利口な坊やは宮沢賢治の世界観を理解できたのだろうなと思っています。

銀河鉄道の沿線は、くまのお母さんが若い頃に過ごした町です。

銀河鉄道の終着駅は、大きな津波が来てから、いろんなものがなくなって駅前もすっかり変わってしまいました。

でもくまのお母さんにとって、坊やが亡くなってしまったことが大きすぎる喪失なのです。

 

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Prepare for summer

坊やが購読していたショップのメルマガを見ると、夏服の季節がやってくるんだなと思います。

おしゃれが大好きだった坊やは欲しい服や小物がたくさんありました。

もしかして坊やは買い物依存症かしら?と、くまのお母さんはちょっと心配したりして、就職して自分で収入を得るようになったら買いなさいと言ってました。

この夏のシャツはどれがお気に入りかな。

欲しい服があったら買ってあげるのになとくまのお母さんは思ったりして。

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つらい

(今日はくまのお母さんはいません。)

名古屋大学学生寮の火災…

これはつらい。

www.asahi.com

親が子どもの悩みを聞きに来たのに抑止力にならなかったのですね。

電通の高橋まつりさんのお母さんも電話で

「死んじゃだめ」と何度も言ったそうです。

本気で死ぬ気の人を止めるにはどうしたらいいのでしょう。

そして気になるのは、学生寮を修繕?しなければならないでしょうから、その費用は学生の保護者が弁償しなければならないのかということです。

しかし、相続放棄すればお金を出さなくてもよくなるのでしょうか。

寮生もしばらくは住めなくなるのではないでしょうか。

その補償などはどうなるでしょう。

ただでさえショックが大きすぎるのに…

 

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どんなことがあっても

(今日はくまのお母さんはいません。)

うちと似た環境で育っていわゆる成功した人生を送っている人が羨ましいと思います。

私にはできなかったことができる人が羨ましいと思います。

私はどんなことがあっても息子を受け止めることができていたのでしょうか。

生きていこうと切り替える力を与えることができなかった、それが結果なのでしょうか。

「たられば」はやめようと思っていますが、まぁ仕方ないとも思います。

だからこそ今を生きるしかないと思います。

 

style.nikkei.com

 

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カウンセリング

(今日はくまのお母さんはいません。)

ツイッターで私のモヤモヤを言語化してくれている投稿を見つけて、うなりました。

息子も父親から虐待を受けていました。

私に対してもモラハラだったのですが、さすがに息子に対して父親毒親だと私からはっきりいうことができませんでした。

息子は大学生になってメンタル不調になってから、父親父親として不適切な態度だと認識できるようになったようです。

それでもどこかで毒親じゃない父親であってほしいという気持ちもあったのでしょう。

息子の出身高校は県下一の進学校ですが、同級生でもメンタル不調らしく大学休学していた子や、大学卒業後の進路が決まらず親元で引きこもっていた子もいます。

それでもきっと親御さんがしっかりしているからやり直しというか仕切り直しができているのではないかと思います。

私は父親の分も頑張るというより、毒になる父親はいない方がマシと思っていましたが、息子は父親をいないものと考えたくなかったのかなと思います。

「よくここまで生き延びて来たね」

と息子に言ってやれるスキルがなかったと思ってしまうあたり、職業病なのですが、虐待ならしょうがないかと息子自身が割り切れるようなら良かったなと思うくらいに「たられば」はあるのです。

 

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