"しにたい" 突然襲ってくる発作
本当は生きたくて生きたくて仕方ないくせに
何でお前は俺の耳元で囁く
生まれたからには生きてやる
生きているだけでも可能性はあるのだから
"生きたい"
死なない方向に引っ張ることが一番大切なのかなと思ったのでメモ。
NHK土曜ドラマ「心の傷を癒すということ」を見ました。
安先生は心のケアとはひとりぼっちにしないことだとドラマの中で言います。
くまのお母さんは東日本大震災で目の前に「心のケア」という言葉が出てきて、心のケアって言葉がしっくりきませんでした。
最近、ネットのどこかで見たのですが
心のケアをしたい人は多いが心のケアを受けたい人は少ない
らしいですね。
そうか、これかぁと腑に落ちたくまのお母さんです。
心のケアをしたい人がくまのお母さんは気に入らなかったのです。
くまのお母さんは、散々、心に傷を負って生きてきましたが、助けてってなかなか言えないのです。
さらに傷つきたくないのでほっといてほしいって思うのですね。
くまのお母さんは患者として、または仕事で精神科の先生方と接してきましたが、精神科の先生は大概やさしいです。
話を聞くっていうけれど、傷ついたことを言語化するのがくまのお母さんには苦痛だったのですよね。
また坊やの誕生日がきました。
くまのおじいちゃんは、今年も坊やの誕生日のことを言いました。
くまのお母さんは今年もケーキ屋さんに行ってケーキを買って仏壇にお供えしました。
北国の令和最初の冬は、もうすぐ春が来そうな勢いです。
でも今週は気温が下がるらしいです。
坊やが生まれたときは、真っ白な雪が眩しかったです。
今日のケーキは坊やが生まれた病院の隣のケーキ屋さんで買いました。
第3回は、避難所になった小学校の校長先生が仮設住宅で1人で住んでいるのですが、米がなくなったら死のうと思ったとかいう場面がありました。
その瞬間、近所の子育て中の女性が差し入れを持ってきて。
校長先生は涙を流して米を買いに行こうと思うのです。
震災がなかったら、みんな幸せに暮らしていたのかな。
幸せとは思わなくても小さな楽しみを見つけられてたのかな。
つらくても生きていればいいと思えれば。
昨日から仕事始めのところが多いですね。
くまのお母さんも仕事始めでした。
坊やが亡くなってから、新年最初に会う職場の人たちに
「明けましておめでとうございます。」
というのをやめました。
喪中の間はともかく、喪が明けてからもずっと言ってません。
くまのお母さんは複数の職場でパートの掛け持ちをしていますが、その1か所でくまのお母さんと同い年の社員の親御さんが年末に亡くなりました。
それもあって様子を見ていましたが、あけおめの挨拶をする人はいませんでした。
去年はどうだったかしら?
記憶がありません。
来客対応や電話対応を見ていても
「今年もよろしくお願いします。」
とは言ってますが、
「明けましておめでとうございます。」
とは言ってる人はいませんでした。
よそはどうかな。
仕事始め式などテレビのニュースで見てると、あけおめの挨拶していますね。
くまのお母さんは年賀状は送ってくれた人に出す形にしています。
そうしているうちに、年賀状も減ってくるかなと思っているので。
同級生や知人の近況報告がわかるのはありがたいので。
(今日はくまのお母さんはいません。)
ブログの前の記事で大滝詠一のことを書きましたが、「サンデーソングブック」で山下達郎と竹内まりやが対談(?)をしていて、そのときの話題がまんま上の記事のような感じでした。
亡くなった人をいつまでも想っていること。
岡田有希子は自死しましたが、竹内まりやが岡田有希子に提供した楽曲を何年も歌えなかったのは、自死したことと関係あるのかないのか、そんなことをやっぱり考えてしまいます。
紅白で竹内まりやが歌うのを見ましたが、歌いながら綾瀬はるかと会話しながら、何度も合掌していた姿が印象的でした。
竹内まりやの実家の家族は、とある新興宗教の信者だったとのことなので、その関係で合掌していたのかなと思いました。