くまのお母さんの物語

一人息子を亡くした、くまのお母さんの物語(ナラティブ)です。

そうだったはずなのにな

くまのお母さんは、坊やが小学生の頃から陰山先生の主宰されるサイトや本を読み、講演会を聴きに行き、まさに↑を信じて子育てしてきました。

離婚して養育費を支払われず、非正規で細々と働き、くまのおじいちゃんやくまのおばあちゃんに助けてもらって、坊やが合格した私立の難関大学に入学金も納めました。

そのまま私大に入学していたらどうなっていたんだろう?

くまのお母さんは考えないようにしていました。

そして坊やは無事に国立大学に合格したので、私大の入学金はもったいなかったのですが、保険ですものね。

仕方ないです。

さて、陰山先生は子どもは十数年経てば助けてくれるとおっしゃいますが…

坊やが私立の難関大学やくまのお母さんが憧れていた国立大学に合格したことで、坊やは十二分に親孝行をしたのかもしれないですね。

他の子たちと比べてしまうから悲しくなるのでしょうね。

東日本大震災から10年の今年の3月は、それはもう、震災遺児たちの泣けるエピソードがこれでもかとテレビに映されてきました。

坊やは高校2年生だったな。

奇跡の一本松を見せに行ったり、被災地でのボランティアの経験もさせました。

そして坊やは現世からいなくなった。

今日もテレビに出ていた坊やと同じ年頃の震災遺児の方が、お墓参りはするし、誕生日にケーキを供えるとかするけれど、現実に向き合っていないようだということを話していて、何だかくまのお母さんは共感するのでした。

くまのお母さんも現実に向き合うのが苦手です。

コロナが落ち着いたら、坊やが最期を過ごした小田急線界隈のコーヒーやさんに行ってみようと思います。

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