くまのお母さんの立ち位置を考えてみました。
自死遺族で亡くした家族は子どもです。
男の子で亡くなったのは大学生の頃です。
(結婚もしていませんでしたし、もちろんくまのお母さんの孫もいません。)
くまのお母さんには亡くなった坊やの他に子どもはいません。
離婚していて今は独身です。
くまのおじいちゃんとおばあちゃんと3人で暮らしています。
くまのお母さんは一人っ子です。
最初に自死遺族とするのか、子どもを亡くした母とするのかで、その後の自己開示の仕方が変わって来るのかしら、とふと思ったのです。
子どもを亡くした母が一番に来ると、病気で亡くなったか、事故で亡くなったか、災害で亡くなったか、事件で亡くなったか、自死か…と、なぜ亡くなったかという方向に目が行きます。
自死遺族ですと自己開示するのは、なかなか勇気がいることだとくまのお母さんは思います。
それはやはり世の中の偏見という言葉を恐れていることになるのでしょうか。
いじめやパワハラ、長時間労働など、何かのせい、誰かのせいに全面的にしてしまって裁判で争うのであれば、また違って来るのかな。
くまのお母さんは坊やはある意味、病死だと思っているけど、それを論じる気力もないし、そうすることでメリットがあるとも思えません。
一番大事なことは、くまのお母さんの大切な一人息子が突然亡くなったという事実なのです。