(今日はくまのお母さんはいません。)
共同通信社の配信記事で、全国自死遺族連絡会代表の田中幸子さんの寄稿が掲載されていました。
死にたいと言える環境づくりの重要性を訴える意見もある中、死にたいと言える社会ではなく、生まれてきてよかったと言える社会でなければならないという田中さんの訴えに賛同します。
息子もツイッターアカウントは3つあって、いわゆる本垢の方は、メンタル不調が進んでからは更新しなくなっていました。
息子は私には死にたいとは言わなかったけれど、リアルの信頼する先輩方や、ネットで知り合って親しくなった子とは亡くなる直前までやりとりしていました。
死にたいと言える場があったから救われる命があるかどうかはわかりませんが、そもそも死にたいと思えなくなる社会でなければいけないと思います。
自己責任では済まされないことです。