くまのお母さんの物語

一人息子を亡くした、くまのお母さんの物語(ナラティブ)です。

ずっと一緒

(今日はくまのお母さんはいません。)

我が子の月命日に、天満宮ヨモギ入りの梅ヶ枝餅を買って家族みんなで食べているという新聞記事を読みました。

菅原道真公と同じ命日だと知って、亡くなった当日、おじいちゃんがヨモギ入りの梅ヶ枝餅を買ってきてから、月命日に毎月25日だけ販売するヨモギ入りの梅ヶ枝餅を買って食べるそうです。

 

<一部引用>

2011年8月に生まれた三男・・君。肺が圧迫される病気で、人工呼吸器が欠かせず、生まれてからずっと病院の新生児集中治療室NICU)で育った。

 13年2月25日、1歳5カ月で亡くなった。

 「道真公の命日と同じ日だ」。祖父の○○さん(69)は、その日、梅ケ枝餅を買いに行った。初めて家に帰ってきた・・君の枕元に、そっと供えた。ヨモギ入りの餅だった。

 以来、月命日の25日に、家族で天満宮に足を運んでいる。

 みんなで餅を食べていると、自然と会話の中に・・君が登場する。

 「僕が抱っこした時に死んじゃったの。ヨモギ入りを食べると、その時の顔とか、思い出すよ」。草色の餅を見ながら、がつぶやいた。

 新しい思い出は、もう増えない。でも、毎月必ず、・・君を感じる時間がやって来る。みんな、それがうれしい。「25日は、・・ちゃんにかかわれる日」 

<引用終わり>

 

「新しい思い出はもう増えない。」

そうなんだよなぁ。

それって、死に別れではなくても二度と会えなくなった人の新しい思い出も増えないということだよなぁと、ふと思いました。

二度と会えなくてもどこかで生きているという希望があるのとないのとでは違います。

二度と会えないことと死に別れたことは、本質的に違うんだと実感しています。

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