そう、きっと坊やも「親への淡い期待」があったのだと思います。
絶望したくなかったんですよね。
でもちゃんと絶望したら希望が見えるんですね。
くまのお母さんも離婚前後はそうだった気がします。
まだいろいろと引きずっているし、挙げ句の果てに坊やはいなくなってしまったし、客観的に見てどこに希望があるのかという気はします。
ただ、出来事は出来事でしかないのです。
それをどう捉えるかは、すべて自分の気持ち次第だと思います。
無理矢理希望を持つ必要はないし、無理矢理希望を持とうとするときっと苦しいと思います。
だから、ちゃんと絶望しようということなのだと思います。