くまのお母さんは今日の朝刊を読んでいて驚きました。
くまのお母さんが新卒で就職したときの同期のうしさんのお子さんが亡くなったことがお悔やみ欄に載っていました。
確か坊やと同い年の子です。
地元の大学を卒業してその後は就職していたんでしょうか。
去年までテニスの大会にも出ていたはずです。
どうして亡くなったんだろう、元気だったんじゃないのかな。
病気かな。事故かな。それとも…
坊やとは接点はなかったと思いますが、共通のお友だちや同級生はいます。
これで、坊やの学年の子で亡くなったのは3人目です。
くまのお母さんが知る範囲では。
多過ぎはしませんか?
1人は病気で亡くなったんですけれども。
うしさんやうしさんの奥様の心痛は察するに余りあります。
と文字にすると、如何に陳腐なことか。
我が子を亡くした体験をしているからといって、それが何になるのでしょう。
自分の悲しみを分かち合うことは、多分出来ないと思います。
だから、寄り添うだけです。
同じ遺族でもきっとわかり合えないこともあります。
遺族でなくても寄り添うことは出来ると思います。
うしさん、坊ちゃんともっと話したかっただろうな。
もっとお酒を飲みたかっただろうな。
仕事の話もしたかっただろうな。
悔しくて仕方ないだろうな。
坊やがうしさんのお子さんをお迎えにいけるくらい、元気になっていてくれたら良いのになとくまのお母さんは、梅雨の合間の空を見上げるのです。