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くまのお母さんの物語

一人息子を亡くした、くまのお母さんの物語(ナラティブ)です。

差別とは

(今日はくまのお母さんはいません。)

九州の地震で大学生が犠牲になりました。

お悔やみ申し上げます。

親御さんの心中は如何ばかりかと思います。

 

私は子どもを亡くした親の気持ちは、その原因によらず共感できるものではないかと思っています。

昨日までさっきまで普通に言葉を交わしていた我が子が、何故、この世から消えてしまわなくてはならないのか。

取り残された私たちはどうしたらいいのか。

我が子が亡くなった意味づけなど遺族の悲嘆を和らげはしません。

大切に育てて来た我が子が突然、亡くなってしまうこと。

その悲しみには違いがあるのでしょうか。

 

自死遺族当事者の声としてあるのが自死遺族は差別されているというものです。

私自身、自死遺族ということで差別されたという経験がないです。

それを自死遺族の分かち合いの会で言うと、まるで差別を受けたことがないのが解せないとでも言うような反応をされました。

 

ただ、私は積極的に我が子が自死したということを人に話していません。

それは自分を守るためです。

これ以上傷つきたくないと思います。

私の場合は話したいのに話せないということではないと思います。

それでも友だちは何となく雰囲気から察するようですが、根掘り葉掘り尋ねてくるようなことはしません。

我が子の自死について人に話せないと思うことが、差別ということになるでしょうか。

しかし、敢えて我が子が自死したことを公開する必要性があるのでしょうか。

 

差別という言葉は、当事者になるまで自身に刷り込まれていたことだからこそ、出てくるものではないのかと思います。

 

 

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