くまのお母さんの物語

一人息子を亡くした、くまのお母さんの物語(ナラティブ)です。

死にたい人の気持ち

(今日はくまのお母さんはいません。)

今朝の投稿の続きになるけれど…

私は死にたいと思ったことがない。

私は自死はするべきではないと考えるからだ。

 

それを息子のしたことは間違いだとか責める気持ちになれない。

死を選ぶのではなくて、死ぬしかないのである。

一瞬でもそう強く囚われたときがあるのだと思う。

死に憧れるはずがない。

死を選択したのではない。

そんな余裕などないのである。

そのとき、死ぬことしか未来にはなかったのだ。

 

メンタル不調であれば、自死は選択するしないの問題ではない。

例えるなら心疾患や脳血管疾患で突然亡くなってしまうのと違いがないのではないだろうか。

心疾患や脳血管疾患は生活習慣の結果であることもあるけれども、それでも突然亡くなるという選択をすることは不可能だ。

メンタル不調もある意味、生活習慣の積み重ねでもある。

だから私は息子に生活習慣の改善を促すようにしてきたのだ。

 

どんな亡くなり方をしても、精一杯生きたことを認めたい。

間違いだなんて言葉は使わない。

言い訳をしているけれど、死を選択した結果ではない故人をこれ以上、否定しないで!

 

 

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