くまのお母さんの物語

一人息子を亡くした、くまのお母さんの物語(ナラティブ)です。

18年前

なぜか2000年のカレンダーを見つけました。

くまのお母さんとくまのお父さんと坊やと3人で暮らしていた頃です。

坊やは小学1年生でした。

雑誌の付録の書き込み式カレンダーで、きっとキッチンで使ってたものです。

家族の予定がポツポツと書いてあります。

6月15日のところに坊やのたどたどしい文字が書かれていました。

初めは何て書いてあるか、くまのお母さんにはわかりませんでしたが、今また見てみると

「おじぎそう めがでる」

と読めました。

おじぎそうとか育てていたっけ?

完全に記憶にありません。

でも坊やが書きたかったんだな。

坊やが生きていた記録です。

くまのお母さんは坊やの歳を数えることは滅多にありませんが、坊やは24歳になります。

24歳の坊や。

何をしているのでしょうか。

坊やの同級生たちは、働いたり、再び大学生になったり、結婚したり、子どもができたり。

すべて坊やの人生にはなかったことです。

坊やのいない人生を生きているくまのお母さんは、また寂しいクリスマスを迎えます。

 

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無題

自死は選択ではない。

 

(500)日のサマー

くまのお母さんが車を運転していたとき、ラジオから

(500)日のサマー」というフレーズが聞こえました。

坊やが亡くなる直前に見た映画(DVD?)だったのです。

あらすじを読むと、主人公のトムがなんだか坊やによく似ていて切なくなるのです。

いつか見てみたいな。

坊やの大学の先輩が今年もお墓参りに来てくれました。

坊やと行ったレストランやカフェに一緒に行き、坊やの思い出話とか、坊やの先輩の仕事の話とかします。

そして坊やの先輩のお母さんは、くまのお母さんと同業だということを知って、色々と腑に落ちました。

くまのおじいちゃんは、また入院しました。

次から次へいろいろと病気になりますが、元気です。

でもくまのお母さんは疲れます。

 

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デパートの従業員になりたかった

坊やの就活は、百貨店が第一希望でした。

都会の大学生になって、急にオシャレに目覚めて、いろんなブランドの服や小物を買うようになりました。

人付き合いがあまり得意でないように思えた坊やなのですが、接客を仕事にしたいというので、くまのお母さんはびっくりしました。

くまのお母さんは、坊やに接客の仕事ができるのかしらと思いました。

でも百貨店といっても接客だけが仕事ではないわけで、バイヤーになるのが夢だったようです。

くまのお母さんはいつか坊やが勤めるデパートで、くまのお母さんのファッションコーディネートをしてもらうのが夢でした。

すると、今日聞いたラジオで、都会の某デパートで無料でファッションコーディネートをしてくれるというので、くまのお母さんは、坊やがやりたかった仕事だなぁと思って聞いていました。

ちなみに、その某デパートも坊やが応募して不採用だったところですが…

 

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ブログが見られない、更新できない

ここ数日、はてなブログアメブロが更新できなかったり見られなかったりで困っていました。

パソコンのOSの問題かなとか、ブラウザの問題かなとかネット検索しては一人悩み…

あーあ。

こんな時は坊やがいたらなぁ。

坊やにヘルプコールでもして助けてもらうのになぁ。

と思っても仕方ないので、くまのお母さんは一人でがんばるわけですよ。

そして、止むに止まれず相性が悪いと思っていたChromeのブラウザをインストールしました。

Chromeで見るとアメブロはてなも問題なく見られるし管理画面にも入れて、やっとこのブログにも書き込むことができています!

よかったー。

もうね、このままはてなブログに書き込めないままかと思っちゃいました。

新しくブログ開設して…なんて事まで考えてましたが、好まなかったChromeに助けてもらえました。

インターネットやパソコンは便利ですが、便利だけでは済まないので。

そのうちあちらの世界ともネットとかクラウドみたいな量子力学的な何かでオンラインで繋がって交流できればいいのになーって思うくまのお母さんです。

 

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3年前

3年前、くまのお母さんは何をしていたか。

自分の職場のことやくまのおじいちゃんの病気のことでいっぱいいっぱいだった。

坊やの不調には長期戦で行った方がいいかなって思っていた。

坊やの就職もやっと決まってよかったねって言った。

坊やが亡くなる2週間前、坊やの不調が気になって坊やのアパートに行く予定にしていた。

だけど、くまのお母さんが不調になって、くまのお母さんは精神科を受診した。

都会に出かける自信がなくなってしまった。

坊やに行けないって言ったら寂しそうに思えた。

くまのお母さんがあの時都会に行ってたら、何かが変わっていただろうか。

あの時、無理やり坊やを田舎に連れて帰って来ればよかっただろうか。

今ならきっとそうしていたと思う。

3年前のくまのお母さんは、そこまではできなかっただろう。

今日は仏壇を掃除した。

新しいお花はまだ届かないなぁ。

千代紙を買ったので折り鶴を折ろう。

坊やは幼い頃、折り紙が好きでいろんなものを作っていた。

一昨年は一周忌、去年は三回忌だったから、しなければならないことがあったけれど、今年は法要の予定もないので、いつも通りの月命日の過ごし方をするつもり。

今年は坊やに親切にしてくれた先輩も来てくれそうな気配はない。

でも、それでいいのだとも思う。

 

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坊やの先輩の想い

坊やが亡くなった時、Facebookに葬儀等の日程を書きました。

それは坊やのためというより、くまのお母さんのためにやったことです。

たくさんの坊やの同級生や先輩が焼香に来てくださいました。

お花も供えていただきました。

くまのお母さんの友だちや仕事仲間や知人などFacebookでつながっている方もたくさん来てくださいました。

すごく心強かったです。

ただ、くまのお母さんとよくしゃべっていた知人で坊やが亡くなったことについて何の反応もせず、くまのお母さんに会っても、坊やのことについて一切触れない方が何人かいます。

知っててお悔やみの言葉一つも言えないのは何なんだろうなと思いますが、いちいち気にしていたら身が持ちません。

そういう人なんだなと思うようにしています。

さて、お悔やみに来てくださった坊やの高校の先輩が、最近報道されている高校生の自死事案についてFacebookに書かれていて、こみ上げるものがありました。

坊やが自死で亡くなったとは先輩には言っていません。

何となく察していたかもしれないですが。

ありがたいことです。

 

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