くまのお母さんの物語

一人息子を亡くした、くまのお母さんの物語(ナラティブ)です。

3年経つと

くまのお母さんが住む地域で、3年前にいじめで自死した中学生がいました。

ずいぶんマスコミにも取り上げられました。

亡くなった生徒さんや遺族の方が実名で報道されていました。

毎年、命日の前後1週間とお盆の時期に献花台を設けていたということですが、今年は献花台を遺族の希望で設けないことになったそうです。

遺族の方は「今まで充分にしていただいたので、これからはそっとしてほしい。」とコメントしたそうです。

悲しみは癒えずとも献花台という形がなくても、亡き我が子を思い出してくれる人がいればいいということでしょう。

遺族の方は3年経つことが、ある意味、区切りのようなものに思えたのでしょうか。

それは人それぞれなので、何年ということにとらわれる必要はないと思います。

くまのお母さんはどうかなぁ。

区切りという言葉で表すならば、そんなものは永遠にないと答えておきます。

亡き人を思い出す瞬間に、亡き人とともにいることになるのです。

 

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お花を買う

気温が上がってくると、切花が長持ちしなくなります。

そしてくまのお母さんの家の庭の花も咲いてきますので、花やさんの花を買わずに、今の季節は庭の花を摘んで、仏壇にお供えします。

花やさんの花を買うにしても、坊やは菊の花が嫌いでしたから、いわゆる仏花は買わないようにしています。

そうすると、カーネーションを買うことが多くなります。

もっといろいろな花を飾りたいなーと、くまのお母さんは思っていたところ、ネットでおまかせの花束を定期的に送ってくれるショップを見つけました。

とりあえず、注文してみました。

どんなお花が届くのでしょう。

待つ楽しみもありますね。

くまのお母さんが、いつもの花やさんで選ぶ花ではないものが届くのは楽しみです。

 

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悲しみは

悲しいってどういうことだろう。

愛しているっていうことだ。

「悲しみを分かち合う。」と言うけれど「愛を分かち合う。」と言うことは多くないように思う。

愛は独り占めしたいという感情が湧くものかもしれない。

悲しみは一人で抱えているのが辛い。

そこが違うのかなとくまのお母さんは思います。

 

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くまのお母さんの夢

くまのお母さんが見た夢ではありませんが、Twitterで見つけて、久しぶりに泣きました。 

「私はこの子に何も教えてあげられなかったんじゃないかしら」

「どうしたの」

「泣かないで おかあさん」

 この漫画の白熊が坊やのように思えました。

くまのお母さんは、坊やを思い出して泣くことはあまりありません。

でも、たまには泣けてきます。

思わぬタイミングで悲しみは溢れてくるのです。

悲しいからどうするか。

それは自分で選ぶことです。

前向きという言葉、くまのお母さんは好きな言葉ではありませんが、今を生きることに集中していきたいと思います。

 

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事実に向き合うと

www.buzzfeed.com

ショッキングな記事を見つけました。

残された人たちそれぞれが、ずっと自殺の謎と向き合い続けるしかないのです。

 くまのお母さんは坊やを亡くして2年半が過ぎましたけれども、傷にはかさぶたを作らないようにしようと思ってきました。

かさぶたで傷を塞げば、何かの拍子にかさぶたが取れてまた血が流れるかもしれません。

痛みを感じるかもしれません。

だからかさぶたは作りたくない。

傷はラップで塞いだ方が痛くなく早く治るのです。

だけど、間違ったやり方をすると傷が悪化します。

いずれ、できたばかりの傷と時間が経った傷とそれぞれに応じたケアをしていかなければなと思いました。

自死遺族としては、自責の念にかられるのは致し方ないのですが、「自分の力の及ばない限界がある」ということは認めた方が楽になるのではないでしょうか。

 

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