くまのお母さんの物語

一人息子を亡くした、くまのお母さんの物語(ナラティブ)です。

成人式

昨日は、各地で成人式がありましたね。

くまのお母さんの地元でもあちこちで成人式がありました。

7年前の大津波で亡くなった中学生にも今年、成人の日を迎えるはずだった人がいます。

6人の同級生が亡くなった地域の新成人たちは、その6人の遺影をご遺族から借りて式に臨んだそうです。

そうやっていつも思い出してくれることが、ご遺族にとってもうれしいだろうと思いますが、一方で立派に成長した同級生たちの姿を見ると、どうして我が子がいないのかって悲しくもなるでしょうね。

うれしくも悲しい複雑な思い。

そうして、亡き我が子の同級生たちは、就職して結婚して子どもができて…という人生を送っていくのだと思うと、やっぱり悲しくなりますね。

だけど、亡き我が子を思い出してくれることは、やはりありがたくうれしいでしょう。

 

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君の名は。とパラレルワールド

(今日はくまのお母さんはいません。)

君の名は。

映画を見たいなと思いましたが、ついに見ないでしまいました。

地上波放送があると聞いて、絶対に見ようって思いました。

主人公の男女が入れ替わるという話ばかりが取り上げられていたように思いますが、このストーリーってパラレルワールドなんですね。

災害で亡くなったはずの三葉が別な世界では生きていて、瀧と出会うとかパラレルワールドそのものじゃないですか。

私は新海誠監督が好きで、「秒速5センチメートル」も「言の葉の庭」も見ました。

秒速5センチメートル」のラストシーンと「君の名は。」のラストシーンがシンクロしていますけれど、「秒速5センチメートル」ではもやもやしたやるせなさばかりが残りました。

それを「君の名は。」では回収されたというか、瀧が三葉に声をかけたのですごく満足しました。

すべてはつながっているんだっていう感覚を持つことができました。

 

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新年の挨拶

坊やが亡くなってから、正月にお祝いの言葉をするっと言えなくなった、くまのお母さんです。

待てよ?

おめでとうという類の言葉に違和感を感じるということは、親しい人のお祝いごとに対しても、お祝いの言葉を言わないで済ませるのかということですね。

年賀状を出さないとか、新年おめでとうなどと言わないとか、それは誰に対してでも当てはまることなのでいいかと思うのですが。

自死遺族でお正月はおめでたくもなんともないと感じる方は、身内やお友だちのお祝いはどうされるんでしょうか。

お正月よりもきついシチュエーションになるのではないでしょうか。

それでもおめでとうと言うのか、言わないのか。

と、新年にあたり、ふと思ったことです。

おめでたくはなくても新年は世の中的には一つの区切りという気持ちがありますので、くまのお母さんは「おはようございます。」などの挨拶のように、新年の挨拶ができればいいなと思います。

と言うことで

 

謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

今年もよろしくお願い申し上げます。

 

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大みそか

くまのお母さんは、坊やが亡くなってから年賀状を書いていません。

坊やが亡くなった翌年の新年は、年賀状が来た人に欠礼のハガキを出しました。

今年は、誰にも年賀状を書きませんでした。

「おめでとうございます。」

という挨拶もしませんでした。

職場では

「今年もよろしくお願いします。」

と言いました。

年賀状も大事だと思いますが、自分がめでたいと思わないのに「おめでとう」でもないだろうと思うのです。

それと、最近はリアルの友人知人とSNSでつながっているというのもあります。

メールで新年の挨拶をしたりもします。

3回忌も過ぎて、坊やを思い出して涙が出ることも少なくなりました。

くまのお父さんと離婚しても、坊やの親権はくまのお母さんが持っていたこともあり、くまのお父さんの親戚とも年賀状とか電話のやりとりはありましたが、坊やが亡くなってからは、向こうから何も連絡をしてこなくなりました。

お悔やみの言葉もありませんでしたが、それは気にしていないのです。

今年は仕事をしない期間が思いがけず長くなってしまいましたが、やはりストレスは減ったと思います。

結構リセットできたような気がします。

去年は忙しくしていて坊やを亡くした悲しみにあまり向き合う余裕がなく過ぎました。

坊やが訪れた土地やお店に行ってみたいと思いましたが、半分も達成できていません。

収入が少なくなったので余裕がないせいもあります。

今年は働かないで暮らすことに慣れるので終わった気がします。

来年はどんな年になるかな。

もっと気持ちを言語化できればいいなと思います。

 

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自死についてあれこれ

(今日はくまのお母さんはいません。)

韓国の人気グループのメンバーが自死したというニュースがありました。

最近は、国内で中学生の自死のニュースもよく見かける気がします。

遺族の方々の悲しみはいかばかりかと思います。

そして、息子が亡くなって2年を過ぎても、私は息子の自死を語れません。

息子の大学の同級生や先輩、恩師やバイト先の上司には語れることはあります。

ブログでは、くまのお母さんになってあれこれ書きます。

それでもすべてではありません。

私は自分の気持ちに向き合って言語化することが苦手です。

多分、息子もそうだったと思います。

息子がツイッター複垢で最期までやり取りをしていた女子大生が、今でも息子を思い出してくれているようでうれしく思います。

彼女とやり取りしたいと思うけれど、きっとびっくりしたり嫌な思いをしたりするかしらと控えています。

でもなんとかしてつながる術はないのかなと思いますが。

ネットでは、リアルではあり得ないようなやり取りに出会って、びっくりすることがあります。

傷つくことも多いし、その逆も然りです。

自死遺族にとって直接その出来事に遭うという一次被害の他に、周りからそのことを言及されて傷つくという二次被害があります。

アメブロ自死遺族の方のブログをデータ化して研究するという精神科医のことを知って、とてもがっかりしています。

 

そもそも、匿名ブログの筆者が自分の研究にブログを無断で利用して、研究結果の報告もどうするのかも明示していないとか、あり得ないと思います。

こういうことはやめてほしいし、その手法でエビデンスを取れるのでしょうか。

私は研究に関して素人なのでご教示いただきたいものです。

 

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自死遺族支援のお仕事

くまのお母さんは知人の伝手で、とあるところを紹介してもらいました。

その知人に働きたいということを話していたからです。

紹介してもらったところが、まさかのまさかで自死遺族支援をしているところでした。

もちろん、自死遺族支援がメインの業務ではなく、他にもたくさんの業務をしています。

さて、困ったな。

どうしようかな。

仕事自体は週2日だけの出勤らしいです。

自死遺族支援をする団体(自助グループでなく)に当事者がいるケースは聞いたことがないのですが。

もっとも件の職場の自死遺族支援は自殺対策の一環なので、自死遺族支援がことさら強調されることはないです。

ただ、当事者としてはそこのところに視点がいってしまいます。

くまのお母さんはもともと、仕事とプライベートは切り離して考えるタイプなので、仕事は仕事と割り切って、むしろ当事者感覚を大事にできればいいのかなとも考えます。

実際に働くことになるかどうかは未定ですが、そんなこともありますということで。

 

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死にたいと生きたい

www.okimhome.com

死にたいと生きたいは対立しないのではないかと、くまのお母さんは考えるようになりました。

例えば、幸せにとまではいかなくても、毎日を何となく暮らしていても、負の感情にあまりとらわれることなく過ごしていれば、死にたいどころか生きたいと願うこともないでしょう。

なぜなら、生きるのが当たり前だから。

生きることが特別なことに思えるからこその「死にたい」なのではないでしょうか。

だから、死にたい人は生きたいんだと思います。

しかも、生きたいと請い願うことがない、幸せな人たちよりも強く強く。

 

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