くまのお母さんの物語

一人息子を亡くした、くまのお母さんの物語(ナラティブ)です。

自死遺族支援のお仕事

くまのお母さんは知人の伝手で、とあるところを紹介してもらいました。

その知人に働きたいということを話していたからです。

紹介してもらったところが、まさかのまさかで自死遺族支援をしているところでした。

もちろん、自死遺族支援がメインの業務ではなく、他にもたくさんの業務をしています。

さて、困ったな。

どうしようかな。

仕事自体は週2日だけの出勤らしいです。

自死遺族支援をする団体(自助グループでなく)に当事者がいるケースは聞いたことがないのですが。

もっとも件の職場の自死遺族支援は自殺対策の一環なので、自死遺族支援がことさら強調されることはないです。

ただ、当事者としてはそこのところに視点がいってしまいます。

くまのお母さんはもともと、仕事とプライベートは切り離して考えるタイプなので、仕事は仕事と割り切って、むしろ当事者感覚を大事にできればいいのかなとも考えます。

実際に働くことになるかどうかは未定ですが、そんなこともありますということで。

 

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死にたいと生きたい

www.okimhome.com

死にたいと生きたいは対立しないのではないかと、くまのお母さんは考えるようになりました。

例えば、幸せにとまではいかなくても、毎日を何となく暮らしていても、負の感情にあまりとらわれることなく過ごしていれば、死にたいどころか生きたいと願うこともないでしょう。

なぜなら、生きるのが当たり前だから。

生きることが特別なことに思えるからこその「死にたい」なのではないでしょうか。

だから、死にたい人は生きたいんだと思います。

しかも、生きたいと請い願うことがない、幸せな人たちよりも強く強く。

 

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凛として時雨

くまのお母さんが愛用のMacBook Airを開くと、何故かApple Musicの画面が出ていて、ライブラリには、凛として時雨の「鮮やかな殺人」が保存されていました。

 

凛として時雨は名前だけ聞いたことあるけれども、「鮮やかな殺人」は知りませんし、曲も再生してみましたが、聞いた覚えもありません。

 

これって、もしかしてパラレルワールド

それとも単にApple Musicの宣伝?

 

坊やは凛として時雨を聴いたことがあるかもしれないけれど、凛として時雨が好きだという情報をくまのお母さんは把握していません。

 

坊やの好きなミュージシャンや曲ならば、ビンゴと思うかもだけど、なんで凛として時雨なんだろう?

くまのお母さんはミルクたっぷりのあったかい紅茶を飲みながら考えます。

 

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Wi-Fiルーターが不調だった

坊やの三回忌に寄せて思うことはいろいろあるくまのお母さんですが、その前に。

ついさっき、突然Wi-Fiルーターが調子悪くなりました。

今使っているルーターは、前に使っていたルーターではあまり調子よくなくなったため、坊やが新しいルーターにしようと言って、新しく買って設定したものです。

もう何年になるでしょうか。

坊やが大学生になってからというのは確実なのですが。

今でもパソコンやネットのことはよく分からないくまのお母さんです。

ネット関係はほとんど坊やに頼っていたので、困ったときにもう坊やに聞けないので、くまのお母さんは一人で解決方法を探します。

でも無事に解決したときは、坊やが応援してくれているのかもしれません。

坊やが設定したネットワーク名やパスワードを改めてメモして、もしかしたらルーターが不調になったのは、坊やが何か合図でも送っていたのかしらとくまのお母さんは思うことにしました。

ちょっと安心もしました。

 

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三回忌

一足早く雪景色の北国です。

くまのお母さんは坊やの三回忌を済ませて、カルディのコーヒーと上島珈琲店のアーモンドとバターのザントクーヘンで一息入れます。

どうして坊やの供養をしているんだろうと、解せない気持ちはあるのですが、決まりごととして淡々とミッションをこなすという感じなのです。

離婚して13年になるくまのお父さんに三回忌の連絡をして、都会から来るくまのお父さんの送迎をするのも、無事に終えました。

1年前は一周忌をしたので、その時と同じ感じかなと思いましたが、くまのおじいちゃんとくまのおばあちゃんは、やはりそれなりに歳をとった分、何かと見守りが必要なので、その分くたびれたかなーとくまのお母さんは思います。

くまのおじいちゃんは、車の運転をして、タイヤ交換もジャッキを使って一人でやってしまいます。

くまのおばあちゃんは、家事や花の手入れをしています。

だけど、やはり1年前と同じように動けないんだなぁと思いました。

そしてくまのお母さんも歳をとっていくんだなぁと思いました。

坊やは歳をとらないのかなぁ。

昨日、三回忌の準備に追われていると、坊やの香りをいつもより頻繁に感じましたが、今日は感じませんでしたね。

くまのお父さんは、まだ坊やが亡くなったことが悔しくて、1年前と同じことを喋っていました。

くまのお母さんは自分の気持ちを出すのが、やっぱり苦手かもしれないと思います。

でもしょうがないよね。

それを認めるのも大切かなと思います。

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死にたい人はいない

(今日はくまのお母さんはいません。)

共同通信社の配信記事で、全国自死遺族連絡会代表の田中幸子さんの寄稿が掲載されていました。

死にたいと言える環境づくりの重要性を訴える意見もある中、死にたいと言える社会ではなく、生まれてきてよかったと言える社会でなければならないという田中さんの訴えに賛同します。

息子もツイッターアカウントは3つあって、いわゆる本垢の方は、メンタル不調が進んでからは更新しなくなっていました。

息子は私には死にたいとは言わなかったけれど、リアルの信頼する先輩方や、ネットで知り合って親しくなった子とは亡くなる直前までやりとりしていました。

死にたいと言える場があったから救われる命があるかどうかはわかりませんが、そもそも死にたいと思えなくなる社会でなければいけないと思います。

自己責任では済まされないことです。

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希望がなくても生きていく

雨の日の午後、くまのお母さんは、テレビを見ていました。

戦時中に父を結核で亡くし、その後、母が後追い自死をし、残された2人の姉弟は親戚をたらい回しにされ、苦労して育ったけれど、弟が18歳で自死してしまったという姉の話でした。

現在87歳で会社を経営している彼女は、若々しくお元気そうです。

弟さんが亡くなった時の話をすると今でも涙が出ると言います。

くまのお母さんは自分の苦労話と比べることには意味がないなと思いました。

自死遺族はそれぞれ自分だけの底知れぬ悲しみと苦労を背負って生きていると思います。

それでも生きていける。

テレビに出ていた女性はカンボジアに学校を建設する援助を続けているそうです。

学校に行きたいと願った弟さんの遺志を継いで、学校に行きたいと言う子どもがいなくなるようにと活動しているそうです。

くまのお母さんは、お元気に活動されている自死遺族の方々のようには生きられませんが、くまのお母さんなりに生きていこうと思います。

 

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