くまのお母さんの物語

一人息子を亡くした、くまのお母さんの物語(ナラティブ)です。

卒業式

くまのお母さんの地元の国立大学では今日が卒業式でした。

晴れ着を着てキャンパスを歩く学生の姿を見て、坊やも大学を卒業できたらよかったのになとくまのお母さんは思いました。

坊やのスマホをいじっていたら、ホットメールの受信ボックスが開けるようになりました。

ホットメールは坊やが好きな店のメルマガなどの受信に使っていたみたいで、坊やが好きだった店にいつか行きたいなと思いました。

寂しくても悲しくても今日は春の雪が降ります。

カフェオーナーの白鳥さんにパーティーへのお誘いをいただいたのですが、なんだか行く気になれませんでした。

係長は、自死した社員さんの労災関係のあれこれで疲れ切っていました。

大丈夫かな…

 

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二十歳の原点、ふたたび

(今日はくまのお母さんはいません。)

1年以上前の日記にも書きましたが、高野悦子の「二十歳の原点」は私の好きな本でもありました。

そして、彼女が通った京都の大学にも憧れましたが、私立文系の大学など我が家ではまず経済的に進学先の選択肢にはありませんでした。

学歴コンプレックスを自称する私は、私の能力では進学不可能な大学の学生と仲良くなることがとても嬉しかったです。

昔はインターネットもなかったけど、自分の生活圏外の人と親しくなる術というものはあったわけです。

そして、息子の父親と結婚した理由の一つが、高野悦子と同じ大学の出身だったからで、あまりにも安易でした。

二十歳の原点」が好きなのは、自分が死にたくなるほど悩んだからではありません。

どんなときも私は死ぬという選択肢を持ったことはありません。

ただ、割とひとりぼっちで過ごすことは多かったのだと思います。

息子が生まれて育てて進学先を考えたとき、親より優秀だということが不思議であり誇らしくもあり、何より私の学歴コンプレックスを一掃させたのでした。

私が憧れたあんな大学にもこんな大学にも息子は合格してしまって、ただただ感心するしかありませんでした。

息子が死に至ったのは、家庭環境の影響が根深いからだと私は思っていて、高野悦子とはそこが明らかに違うのだろうと思っています。

でも死に至る経緯が所々、似通っているようにも思い、息子に「二十歳の原点」を読ませたかったなぁと思います。

死にたいと思っていても、どこかに生きる希望を見いだすことができれば。

親や周りの人が悲しむから死なないでというのは、死にたい人には響かないんじゃないかと思います。

悲しむかどうかなんて、死んでみないとわからないじゃないですか。

私はそう考えます。

 

bh.pid.nhk.or.jp

 

 

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悲嘆体験

(今日はくまのお母さんはいません。)

原発事故の災害関連体験によるメンタルヘルスの不調の研究があるそうです。

色々ありますが、とりわけ腑に落ちたのが

「悲嘆体験」といった悲しみの感情はずっと引きずることが示されている。

ということです。

悲しみの感情を持ちながらでも毎日の生活を送ることができれば、それでいいのではないかと思っています。

悲しみを頑張って軽くする必要があるでしょうか。

感情の揺らぎは自然に任せて、日常生活をいつもと同じように過ごすことに気を遣うことが大切だと思います。

 

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春彼岸

坊やのお墓は、くまのお母さんの住む町の隣の地区にあるので、お墓参りに行こうと思えば、いつでも行けます。

お墓のそばのスーパーには毎週買い物に行くのですが、買い物に合わせてお墓参りをしたことはありません。

毎朝、家の仏壇にお水とご飯をお供えしているのでいいかなぁと思います。

お墓参りするなら、お花とお水とお線香とろうそくとライターとお供えものを持っていかなくてはと思うので、ものぐさなくまのお母さんはお墓のそばを通る時、心の中で手を合わせるのみです。

今日はお昼頃にくまのおじいちゃんとくまのおばあちゃんと一緒にお墓参りに行きました。

くまのお母さんにとって、お墓参りは行事の一つかなぁという感じです。

坊やが生きていれば、就職して1年過ぎようとする頃で、どんな風になってたかなぁと思います。

「仕事はどう?ちゃんと食べてちゃんと寝てね。」

なんて電話をかけていたはずです。

奨学金の返済がきついから坊やがくまのお母さんに泣きついていたかもしれません。

今年の始めにお嬢さんを亡くしたくまの母さんの同級生のとらくんが、久しぶりにSNSにいつもの楽しそうな投稿をしていました。

悲しみは悲しみのままで、生きていればいいのだと思います。

 

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7回忌

あの大津波から6年。

7回忌なんだなーと感慨にふけるくまのお母さんです。

6年間は長くて短かった。

くまのお母さんは直接の被災者ではありませんが、仕事で何度も被災地へ行きました。

あの頃は、大切な人を亡くしたご遺族の深い悲しみや辛さや悔しさは、くまのお母さんにとって他人事でした。

寄り添うってどういうことだろうと自問自答しながら過ごしていました。

被災地で支援をしている方で自死された方もいらっしゃいました。

どんなときも、どうしてあの人が亡くなってしまうのかという思いを常にくまのお母さんは抱いていました。

そして、まさかの坊やが亡くなってしまうことは想定外でしかありませんでした。

今朝、震災関連のテレビを眺めていて、津波で亡くなった方のご遺族の一言一言が、本当に心に刺さるというか、我が事のように感じます。

津波で亡くなった方と自死した方の違いは、死にたいと思ったか思わないかだけだと思いますが、自死は死ぬことを選択したということとは違うと思います。

死にたいと思いながらでも生きていればと思うのです。

生きたいけれど死ぬしかないと思わされてしまうのではないでしょうか。

生きていればいいことがあるとは限らないけれど、それでも生きていたいと思うくまのお母さんです。

 

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想いが溢れる3月

あれから6年モードの津波の被災地のローカル局のアナウンサーが

「想いが溢れる3月です。」

と言いました。

くまのお母さんにとって、生まれて初めてのエポックメイキングな出来事だった大津波(地元だけに阪神淡路大震災より自分ごとです。)は、もはや「あれから6年」という事実でしかなくなってしまった気がします。

坊やがこの世を去ったということが、くまのお母さんにとって重要なことです。

そして、6年前の津波でこの世を去った何万人もの方々のご遺族にとって、大切な人を亡くしたというそのことが重要なのだと思います。

東日本大震災は巨大地震により二つの災害をもたらしました。

津波原発事故です。

津波の被災地は、少しずつ復旧・復興に向かっています。

でも原発事故の被災地は津波で被災したところの復旧すらできません。

津波の被災地ではたくさんの人が亡くなりました。

でも原発事故が直接の原因で亡くなった人をくまのお母さんは知りません。

比べられる性質のものではないと思いますが、生きていることが重要だとしたら、自死遺族はどんなに辛くても自ら命を絶ってはいけないと思います。

死にたくなったときにどう対処するかが大切です。

折しも3月は国が定めた自殺対策強化月間です。

くまのお母さんは仕事柄、いわゆる自殺対策(国は自死という言い方はしません。遺族のことは自死遺族と言います。)の仕事にも携わって来ました。

それでも亡くなる人がいるのだという事実を目の当たりにして、ゲートキーパーとか傾聴とか本当に死にたい人には何の役にも立たないと思いました。

それらは本当に死にたくなる前に必要なことです。

そして、昨日はまた職場で自殺予防のニュースレターを社員に周知するお仕事をしてきましたよ。

「あ〜あ。」「やれやれ。」

と思いつつ、黙々とくまのお母さんは仕事をしました。

今の会社では誰もくまのお母さんが自死遺族だとは知りません。

くまのお母さんの隣の席の係長は、自死した社員の労災関係を担当していますが、労働基準監督署の手続きに必要な書類や関係者への聞き取りにとても時間がかかっています。

係長もご主人が10年ほど前に亡くなったと言いますが、なぜ亡くなったかとか聞けません。

なるべく地雷を踏まないように、くまのお母さんは歩いています。

 

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Hello

(今日はくまのお母さんはいません。)

グラミー賞を受賞したアデルが歌う「Hello」を聴くようになったのは、いつからだったろうと思います。

2015年後半に出た曲なので、息子が亡くなって間もない頃に初めて聴いたんだと思います。

失恋の歌ですが、プロモーションビデオを見てると、遠く離れた人に繋がらない電話で語りかけるというイメージに共感します。

息子にも聴いてもらって感想を聞きたかったなと思います。

 

Hello from the other side

 

私にとって、後悔というより二度と会えない人への思いでしょうか。

youtu.be

 

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